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びいどろ時舟 23 

花魁の背中に向けて、ほんの少しの気休めを口にした。

「男衆に捜してもらっているから、きっとそのうち見つかるだろうよ。あの子は、ここよりほかに、どこにも行くところなぞないんだからね。」

「それよりも、あんたは湯に浸かってこしらえを解いてから、待ってやった方がいいんじゃないかい?鏡の好きな餡餅でも、用意してさ。」

そこへ廓の中を散々走り回った男衆が、ばたばたと数人帰って来た。顔色を変え、口々に息せき切って伝えた。

「女将さん。身代わり天神の側に、これが落ちていたんです!」

「これは、鏡の髪に挿したものじゃありませんか?

果たして、それは鏡の髪に挿したはずの、ずり落ちた数本のべっ甲の笄(コウガイ)だった。
びいどろのかめに入るとき、鏡が抜いたものだった。
青白になった千歳花魁は、「天神様の神隠しでありんす・・・」と、叫んだきりその場にどっと崩れ落ちた。

「花魁!」

男衆が抱えて連れてゆくのを女将はぼんやりと眺めていた。

「神隱しかい・・・。」

重い沈黙が流れ、女将は、倒れた花魁と同じ顔で、できまっしぇん・・・と震えていた鏡の顔を思い出した。
忘八と呼ばれた女将の頬に、思いがけずつっと涙が転がった。

「神さまなんぞに縋っていないで、とっとと帰ってくりゃいいんだよ。餡餅だって、明日になったら硬くなっちまう。仕事が、山ほどあるんだからね・・・一体、どこで何をしてるんだい。」

帰って来たばかりの、男衆にもう一度探しに行くように命じて、今度ばかりは薄情な自分に腹を立てていた。

*******

仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(てい)という、人として大切な八つの徳目がある。

そのすべてを失った者という意味から、遊女屋の女将、楼主は「忘八」とあだ名される。
国許に帰るとき、どうか子供達を頼みますと言って、大きな身体を二つに折った紅毛人が渡した大量の銀札は、とうの昔に奉行所で換金して、水月楼の増築に使ってしまった。
鏡と千歳の母、睡蓮太夫も、借金を残すどころか、多額の金子を二人のために残していた。

それなのに、葬式が終わり、しょんぼりと棺に付き添って手をつないで歩く二人に、あしたっからは姉さんは禿(かむろ)、お前は男衆見習いだから、おっ母さんの葬式代を返してもらうよ、しっかりお働きなと告げたのだ。
涙の乾く間もなく、姉弟は離れ離れになった。

「確かに、あたしは忘八だよ・・・」

女衒から見目良い子どもを買い叩き、仕込みさえ手がける忘八女将は、身代わり天神が哀れな鏡を守ったのだろうと考えていた。
もう、決して人でなしなことはすまいよ、天神様に詫びてこようと内心決心した女将は、長い紫煙を吐いた。すぐに、気まぐれは反故になるかもしれないが、今だけはそう思っていた。

窓ガラス越しに、沖から大きな阿蘭陀船から小船に移り乗ってくる、人影が見える。
又、阿蘭陀商館長の、交代の時期になったのだろうか。
ほぼ二年毎、商館長の顔は変わり、そのたびもてなしの宴は華やかに水月楼で執り行われた。

自分が上方流れの花魁だったころ、阿蘭陀行きと呼ばれていた数人の同僚の顔を思い出した。
出てゆく船に、高台から別れの袖を振る、居留地の妻達の産んだ美しい子供達の多くは、はやり病であっけなく死んだ。
痘瘡に罹り、労咳に罹り、命を落とした可哀想な子供達は、みんな石灰と共に寺の無縁墓地に投げ込まれた。
遊女達も大方が短命で、華やかな不夜城の裏では、「苦界」と呼ぶにふさわしい暗い闇が広がっている。
その平均寿命は、22歳を僅かに超えたくらいだった。

遊女の生んだ子どもが、花街につながれるのは、どれもこれも、幕府の海禁と言う海外渡航・貿易を禁止する政策のせいだ。
鎖国を布(し)いた幕府の御定法は絶対で、こうして混血児を廓に閉じ込めている。
情け容赦もない、御定法に多くの親子の絆は引き裂かれた。
奉行所の役人の噂では、次のお沙汰でもっと酷いことになるかも分からないという話だった。
せめて、鏡だけでも父親の国へ行けたらいいのにと、夢語りのように語った鏡たちの母親の顔がよぎる。

「そうだねぇ・・・睡蓮花魁。」

「それが一番、いいんだろうよぉ。千歳に鏡を返してやっておくれな。」

睡蓮花魁の見た叶わぬ愛する人と共に暮らす夢、それは鏡の見る夢と似ていた。





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