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びいどろ時舟 9 

毛むくじゃらの腕が、鏡の前に垂らした帯に伸びる。掴もうとして、手が滑ったらしい。
着慣れぬ内掛けの裾を踏まれて、鏡が寝台に倒れこんだ上に武器商人がどっと倒れこんでくる。

「ひぃっ・・・」

逃げ惑う鏡の、帯を解き中着を抜いて、忙しなく思いを遂げようとした紫蘇色の斑点だらけの腕が、どんと、肩口に落ちた。
押しのける細い手をかいくぐって、洋袴の前立てを開けた阿蘭陀人の体が、積年の想いを遂げようと、胸の上に重石のようにのしかかってくる。

「・・・チトセ・・・ェ・・・」

「きゃあぁ・・・っ・・・!」

必死に振り払った手が、思いがけずまともに顎に当たったようだった。
「ぐっ・・・」と、くぐもったような不気味な声を発すると、そのまま紅毛人は目を見開いたまま固い木偶(でく)になったようだ。

「・・・?」

倒れ込んできた、巨大な岩のようなずっしりと重い異人を押しのけ、半身を起こして様子を覗う・・・

「主さん・・・?どがんか・・・したと・・・か?」

巨人が静かになっていた。
灯をかざすと、濁った白目がぐるりと剥かれていた。

「ひゃ・・・あっ!あ、あしが・・・殺してしもう・・・た?」

商人には、本望叶った昇天だったのだろうが、鏡は動転した。

「あ・・・ぁ、あし、どがんすぅ・・どがんすう・・・?」

傷の入った指先に涙が沁みて、ぴりぴりあかぎれが痛む。
小山のように黒々とした影は、押しても揺すってもぴくりとも動かない。
それでも、何とか指を組ませて、胸に十字架を置いた。何の足しにもならないが、紅毛人の恐ろしい形相を、そっと色内掛けで隠した。南無阿弥陀仏・・・と、経の真似事を口にした。
そして・・・。ひくっと嗚咽が漏れたのを、両手で押さえて、胴着一枚で鏡は部屋から逃げ出した。涙で輪郭がぼやける妓楼の一角をすり抜けて、囚われの小鳥は駕籠の中を精一杯駆けた。

「うっ・・・うっ・・・えっ・・・。」

たった一人優しくしてくれた、金色の髪のカピタンさんは、鏡が商人を殺してしまったと思うだろう。

紅毛人を殺めた咎人になってしまった。
重罪を犯した子どもは、寺に幽閉されて、16歳を待って獄門にかけられるのが常だった。
べっ甲の笄(コウガイ)を挿した重い頭にふらつき、抜いては放りながら、迫る恐怖とまだ見ぬ追っ手から逃れるように、闇の中を走った。
何度も転び、素足は傷だらけになった。必死の鏡は、身代わり天神の裏にある「びいどろのかめ」だけは、覚えていた。

着乱れて傷づいた鏡が石畳を走りぬけ、天満宮の裏手にたどり着いたとき、果たして髪結いの言う硝子のような大きな光る甕は、確かにそこにあった・・・
「あっーー、あった・・・!」

微かに安堵して、ずり落ちた最後の簪を投げ捨てると、側に寄る。
ぶんぶんと、蜂の羽音のような金属音を立てて、かめは夕暮れの白木蓮の花のようにぼんやりと光りながら、鏡を待っていた。

「何とか抜け出したら、それに入って、俺が行くまで待ってな。いいかい。裏木戸は開けといてやるから、そこまでは自分で逃げるんだぜ。できるかい?」

鏡は薄暗闇の中、頷いて蓋を開けた・・・・






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