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明けない夜の向こう側 第二章 12 

櫂は、試験後、陸に伝えた通り鳴澤家には帰らなかった。
以前から考えていたことを調べるために、誰にも言わず独り深川の地にいた。

知り合った頃、母親は深川で芸者をしていると、陸が言っていた。
物心もついていないような子供のいう事で、その頃には事実かどうか確かめる術もなかったが、今はもうおぼろげになってしまった記憶を手繰って、母親の事を確かめるしかないと、櫂は一つの決心を固めていた。

空襲によって、深川の町は焼け野原へと一変している。
軒を連ねた料亭街も焼失し、小粋で切符の良かった辰巳芸者も今はもういない。
材木問屋の多くは代替え地を求めて、対岸の月島へと移動していた。

櫂は空襲から生き残った人を探して歩いた。
焼け野原にまばらに建った家を一軒一軒訪ねて歩く。
人の姿は少ないが、煮炊きする細いかまどの煙が、生活を感じさせていた。
足元の焼けた黒い土をざくざと踏みしめると、恐ろしい記憶がよみがえってくる。

防空壕から引き出された、ガスで二倍以上に膨らんだ夥しい遺体を、積み上げた荷車を引く兵隊はもういないが、あの頃の出来事は決して薄れることはない。
蒸し焼き状態になった遺体は、色が黄色く変わり、ずり落ちると傷付いて、ガスの抜ける音がした。
土が吸った覚えのあるすえた臭いが、何年たった今も鼻を突く気がする。
恐らくこの先、脳裏に焼き付いて一生忘れないだろう。
生きるために残飯を漁る孤児にとって、黒く焦げた死体は、人なのか焦げた梁なのかどうでも良かった。
喜怒哀楽の感情さえ押し殺して、陸と二人抱き合って夜明けを待ったのは、何年たっても昨日の事のようだ。
櫂は一つ息を吐くと、道端で火をおこす老人に声をかけた。

「すみません、人を探しています。深川で、戦前芸者をしていた方をご存知ありませんか?」

「ここいらには、辰巳芸者なんぞいやしねぇよ」

疲れ切った顔の老人が、気だるげに煙管を上げて、月島へ行けと教えてくれた。

「木場が燃えてしまったからな。この辺に住んで居た者は皆、対岸へ渡ったよ。置屋のばあさんも、娘もそっちだ」

「置屋の方をご存じなんですか?」

「ああ。俺ぁ、木材卸の中番頭で、芸者遊びもしてたからな。木場が復活すりゃ、芸者も帰ってこれるんだろうが、ご覧の通りさっぱりなくなっちまったよ」

「ありがとうございます。月島で尋ねてみます」

櫂は深々と、頭を下げた。

「聞いてもいいか?見たところ、芸者なんぞに縁がなさそうなんだが、お前さん、誰を探してるんだい?」

「母親を……血の繋がっていない弟の母親を探しています。空襲ではぐれて、独りで上野にいた時に知り合いました。叶わないまでも、母親を探してやろうと思いました。もし生きているなら、きっと母親も探しているだろうから……」

「そういうことかい。だったら、深川で置屋をやってた辻光代って人間を探してみな。置屋の元締めだ。大抵の事なら知ってるはずだからよ。闇市の端で、一膳飯屋をやってるはずだ」

「辻光代さんですね。捜してみます。あの、あなたは……?」

「辰三ってもんだ。よろしく言ってくれ。おめぇさんは、まだ年が若いから知らねぇだろうが、辰巳芸者は黒の羽織を引っ掛けてな、よそとは違って、そりゃあ小粋だったんだよ」

「はい。辰三さんが、お元気だったって必ず伝えます。ありがとうございました」

櫂は聞いた名前を小さく書きつけた。
木場と共に栄えた深川は、今ではその片鱗さえ残ってはいないが、いつかは復興するだろう。生き残った人々は、明日を見据えて立ち上がろうとしている。
月島に渡り、賑やかな闇市の端で、櫂は目指す相手の店をすぐに見つけた。
小さく「辻」と描かれた色あせた暖簾をくぐった。

「すみません。自分は鳴澤櫂と言います。辻光代さんという方を探しています。こちらにいらっしゃいますか」

絣の着物をもんぺに拵え直した小粋な女性が、銀盆をもって客の間を縫っていた。




本日もお読みいただきありがとうございます。
櫂の真意はどこに……?


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