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明けない夜の向こう側 第二章 7 

櫂は陸から手紙をもらった。
部屋に戻る時間ももどかしく、中庭で手紙を広げた。

「えっ」

そこには郁人をかばって、二階から落ちた事が書かれてあった。
驚いて読み進めてゆくと、生垣のおかげで、大した怪我もせずに済んだこと、父が驚くほど狼狽したこと。
そして、鳴澤に向かって、初めて心からお父さんと呼べたことなどが書かれてあった。

「……そうか。良かったなぁ、陸」

「おや、鳴澤君。どうしたね、随分楽しそうじゃないか。大事な人からの手紙かい?」

「あ、先生」

声をかけて来た相手は、物理教科の教鞭をとる印南という教師で、櫂の話に興味を持ったようだった。

「これは、弟からの手紙なんです。下の弟をかばって、自分が二階から落ちたって書いてあったんで、思わず吹き出してしまって……あ、もちろん、大したことがなかったから笑えるんですけど」

印南は、華桜陰大学の医学部で教科を担当している教授だった。専門は腎臓外科だ。
忙しい教授が、空き時間に高等部で物理を教えているのは、趣味だという事だった。
学生が知識を得てどんどん育ってゆくのが楽しいんだと、笑って話をした。

「それで、君。二階から落ちた弟君は大丈夫なのかい?」

「ええ。幸い、片方の足の捻挫で済んだようです。僕も弟も、頑丈ですから。これまで大した病気もしたことないんです」

「そうか。それは良かった。しかし下の弟……庇ってもらった妹さんだったかは、あまり丈夫ではないのではないか?」

櫂は訝し気な目を向けた。

「あの……?僕は下の弟の話はしていません。先生は、郁人の事をご存じなのですか?」

「郁人……?いや、わたしが診たのは確か女の子だと思っていたんだが……」

櫂はそこまで聞いて、教授の知るのは亡くなった由美子の事ではないかと、気づいた。

「その子は、大学病院に救急搬送されて着た時には、すでに手の施しようのない急性腎炎を起こしていたんだ。ネフローゼ症候群の憎悪で、手当ての甲斐無く亡くなったと記憶している。進駐軍から簡易式の装置を借り受けて、すぐに透析も行ったはずだが……古い話だから、父上から聞いていないかな?」

「……良くわかりませんが、それは、おそらく義弟ではなく、義理の姉だと思います。僕は長女が亡くなったのちに養子で入ったので顔も知りませんけど、最初に挨拶をした鳴澤家の家令が他にも兄弟がいたと言っていました。郁人は……下の弟は元気に過ごしています」

「そうだったのか。それは良かった。それにしても世の中というのは広いようで狭いものだね。実はね、彼女の腎臓移植手術には、わたしも立ち会ったんだよ」

「腎臓移植を手掛けたことがあるんですか?……すごい!」

「わたしがまだ外科医としては駆け出しの頃だったが、米国から腎臓移植の専門医を呼んでね。君は身内だから、話をしてもいいかな。その子には母親の腎臓を移植したのだが、うまく定着しなかったはずだよ。可哀想に……遺伝的なものも有ったんだろうね。父親の腎臓も確か不適合だったんだ。母親も、術後の経過が悪く亡くなったはずだ。元々、体の弱い人だったから、娘を助けるためにできない無理をしたのだろうね」

櫂は、半ば呆然と、ある疑問を口にした。

「不適合……って……先生……あの、腎臓移植というのは……人を選ぶんですか?」

「ん?ああ、適合についての質問かい?それはそうだ。例えば、同じ血液型が望ましいのは、君にもわかるだろう?型が違う者同士だと、輸血もできない」

「はい」

「これは少し専門的な話になるけれど、移植に関しては免疫不全というのが一番怖いんだ。移植手術の一番の敵は、自分自身だと言っていい。折角、手術がうまくいったとしても、異物として患者が拒絶して攻撃してしまうと、折角の手術も無駄になる。植えた内臓も役に立たないまま、朽ちることになってしまうんだ。だから、医師は少しでも適応個所の多いものを探すんだよ。提供者を血縁から選ぶのはそのためだ。海外では、免疫不全を抑える為の新しい薬が作られているそうなんだが……日本では、移植に関してはまだまだ難しいね」

「そうですか」

「わが国では腎臓移植は、まだ数例しかないんだ。鳴澤男爵は、娘の為に秘密裏に手を回して、臨床例もわずかだったが思い切って手術したんだよ。とてもいい子で、わたしは本当に助けてあげたかったんだが、手遅れだった。あれから、ずっと、国内で腎臓移植を可能にするにはどうすればいいか考えているんだ。海外まで行かないと、手術ができないのでは渡航費用を工面できない人間には、死ねというのと同じだろう?しかも、余りに時間がかかりすぎて、たいていは手遅れなんだからね……。透析装置にしても、恐ろしく値段が高いからね。国民皆保険の仕組みも、できるだけ早く必要だ」

ちらと時計を見て、男は立ち上がった。

「ずいぶん長い事話し込んでしまった。いつか、君が医局に来るのを楽しみにしているよ」

「思いがけず、為になるお話を聞かせていただいて嬉しかったです。ありがとうございました。僕もいつかは先生のような医師を目指したいと思います。医学部に入れたら、どうかいろいろ教えてください」

「勿論だ、鳴澤櫂くん。また、会おう」

深々と頭を下げた櫂を、印南教授は勉強熱心な生徒だと好ましく思ったに違いない。
しかし、頭を下げた櫂の脳内には、ある一つの疑問が浮かんでいた。
初耳だった義姉の腎臓移植の話。
渡米してまで行われた手術は、不首尾に終わった。
世界でも成功例はわずかしかない難しい手術という事だった。
養子に入って以来、敢えて聞こうともしていなかったし、死者の事を知ろうともしていなかったが、もしかするとこれらの事実を伝えるのを、鳴澤は避けたのではないだろうか。

突然、施設に現れて櫂と陸に救いの手を伸ばしてくれた鳴澤の父。
地獄に仏だと思い、縋った温かな手は、実は恐ろしい羅刹のものではなかったか……。
陸の父親としての愛情は、本当にあるのだろうか。
一抹の不安は、櫂の心に澱となり深く沈んだ。




本日もお読みいただきありがとうございます。
櫂の進むべき道は、はっきりと見えてきました。

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