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小説・約束・55 

月は、満天。


足音を忍ばせて、通いなれた道を行く。


廃屋のようだった洋館は、勝次や民のおかげでかなり体裁よくなっていた。


掃除をして、敷物を変えただけでも見栄えが違うのは、調度や柱などが元々贅を尽くした拵えなのだと思う。


猫足のついた、洋風の家具や大きな鏡、カバーの傷んだ西洋風の長い寝台も綺麗にシーツを換えられて、西洋の王子と姫君のでてくる御伽草子の挿絵のようだった。


凛斗はといえば、そういったものにまるで興味がなく、今は吸い込むように文字を覚えていた。


代数も難なくこなし、この分では良平が先生を首になる日も近いかもしれない。

仄暗い部屋の中で、西洋ランプの光に照らされて凛斗が眠っている。


寝苦しい夜に、唯一重い鉄製の扇風機だけが音を立てて、熱い室内の空気を混ぜていた。


文字の練習をしていたものか、ノートの上に突っ伏して、軽く握った手から鉛筆がこぼれていた。


ふと、胸に抱えた見開きのノートに、書かれた大きな文字を見た。


きんし

なかないこと

こまらせないこと


かぞく


おじいさま


おとうさん


おかあさん


ぼく


おとうと



そして、いくつかの涙の跡・・・


汗ばんだ額に、髪は張り付き、目じりに涙がたまっていた。


裁ちばさみで刈った髪は、民さんが見かねて散髪してくれたから、今は外見だけはちゃんと年相応に見える。


良平の胸をつんと鈍い痛みが走る。


何で冷たいことばかり言ってしまうのか。


何で優しくできないのか。


心細いばかりにシャツを引っ張って止めた、凛斗に向けてひどい言葉を投げつけてしまった。


小さな子供だと思って、接するようにと主治医が言ったのに・・・気が急いた・・・


「ごめん・・・」


小さく呟いて、凛斗の横にもぐりこんだ。


お日さまの匂いがした。


窓から入ってくる風が止まった。


青白い月の光が入ってくる。


ふと目覚めて凛斗は、揺らぐカーテンの向こうに薄い人影を認めた。


はっきりとしないその影は、みるみる人型となってこちらをむく。


『凛斗くん』


恐れも驚きもなかった。


その人型は、凛斗の知っている人の声を持つ。

「さとうの・・・おじさま?」


頷くと形が崩れて、少し流れた。


『これは、夢なのかな』


『不思議だ・・・君にどうしても会いたくて念じていたら、故郷に帰ってきたみたいだ』


言葉は胸に届いたが、傍らで眠る良平が身じろぎもしないところを見ると、自分にだけ聞こえているのだろうか。


『おかしいね、僕は今火炎放射器で目をやられて、野戦病院に居るはずなのに・・・君の姿が見える』


「野戦病院・・・?」

『僕はね・・・』


『君にどうしても、謝りたかった』


凛斗はかぶりを振った。


『生きていてくれて、ありがとう』


『国を離れても、君の安否だけが心にひっかかっていた』


「だから、ぼくに会いに来てくれたんですか?」


輪郭が揺れた。

「ぼくは、生きたおじさまに会いたいです。」


「良平も一緒に待っていますから、帰ってくると約束してください。」


『君は、トマスとの約束も、お母さんとの約束も守ったんだね。』


「ええ。」



凛斗は影に向かって、答えた。

「約束は、何があっても守るものと両親に教わりました。」


魔法の呪文のように、何があっても生きるんだよと言った言葉が今も耳に残る。


はさみで目を突こうとしたときも、一瞬の躊躇に変わるほど交わした「約束」は重かった。

『君に、会いたい』


『大きくなった君に会いたいよ』


『全て終わったら会えるだろうか』


「いつ・・・?」


揺らぐ影が凛斗を包む。


離れがたく、まといつくように・・・


愛おしそうに・・・


時が過ぎた・・・


『未来は、いつも君のものだよ・・・』


気づけばいつしか窓に差す光は、夜明けのものだ。



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