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真夜中に降る雪 5 

白い天井が、眩しい……

消毒薬のにおいが鼻を突いた。
動こうとして、全身が拘束されているように固まっているのに気が付いた。

「いっ……たーー……っ」
「あ、里中さん。気が付かれましたか?」

微笑む女性の格好に、自分が病院のべッドにいるのだと気が付く。
左足の先がかゆくて、掻こうとしたら固いギブスに当たって驚いた。

「ぼくは……」
「すぐに先生を呼んできますね」
「あ、落ちたんだっけ……」

全治三ヶ月の、左大たい骨と踵(かかと)の骨折、左上腕の骨折と全身の打ち身。
打ち所が悪ければ、死んでいたほどの重傷だったが、神経損傷がなかったのが奇跡だと医者は言った。
身体の表面を強い力で強引に引き伸ばすような、これまでに経験したことのない激しい傷みが春美を襲う。
じわじわと記憶が甦って来る。

「会社に連絡入れなきゃ……うっ……」

起き上がろうとしたら、看護士が重傷ですから、しばらくは絶対安静ですよと告げた。

「手術後は面会謝絶なんですけど、会社の上司の方だとおっしゃるので廊下に待っていただいています。本当はご家族以外お帰りいただくのですけれど。入ってもらいますか?」
「あ、はい。部長かな……」

こんなことになり、部長に迷惑を掛けて申し訳ないと思う。
独身ばかり合コンのような、忘年会だった。
無理していかなければ良かった。
孝幸にも、明日の営業の段取り狂わせてごめんって言わなきゃ。
部長だと思い、身体を硬くして畏まったところへ、ひょいと顔を出して覗き込んだのは、聡一だった。

「……宮永先輩?なんで……?」
「今の苗字は、芳賀(はが)だ。結婚してからは、婿養子に入って芳賀聡一というんだ。言わなかったか?」
「あ、はい聞いていませんでした」

そんな会話は、一度もしたことなかった。
結婚したと聞いて、脳のどこかが騒いだのを思い出す。

『ぼくの知っている先輩は、宮永さんといいます。ぼくの事を、玩具にしただけで大切なことは何も言ってくれない冷たい人でした』とは言えないで、視線を落とした。
やっぱり、ぼくの事なんか考えもしなかったんだ。
会いたくなかった。

「……すみません。会社にご迷惑を掛けてしまいました」
「今度の事は不可抗力だ。事務の女性をかばって落下したところを見たものは多い。会社としても無下にはしない。仕事がらみではないから労災は厳しいかもしれないが、見舞金も出るだろうし、会社の入っている保険もあるから金のことは心配するな」
「ありがとうございます。うあ……っ」

少し身じろげば、表皮を素手でばりと引き裂くような痛みが走った。
骨が折れたのより、内側から痛みの襲う打ち身の傷みのほうが耐えがたかった。
覗き込む聡一に、春美は動く右手で顔を覆い、眠りたいですと告げた。

「ぼく……人の気配があると眠れないんです……だから、すみません、一人にしてください。眠ります……」
「あ、ああ……そうか。完全看護だから、ご実家のほうにも心配はいらないと伝えておいた。あしたには、田舎のご両親も見えるだろう」

ほんの少し息を吐いて、ベッドに深く埋もれてしまいたいと思った。
聡一の姿を見てしまっただけで、あの指にはまだ硬い野球だこがあるのだろうかと、波立つ胸が腹立たしかった。
硬く目を閉じて顔を背け、気配が去るのを待った。
今は何も考えずに眠るんだ……忘れなきゃ……
静かに落ちる痛み止めの点滴が、眠りの底へと春美の意識を引き込んでゆく。
何もかも忘れて眠りたかった……

「……忘れるんだ……みんな、忘れなきゃ……忘れる……」

呪文のように、眠りに落ちる春美が口にした言葉を、聡一は聴いていた。
薬が効いてベッドに横たわる春美の小さな顔に、そっと長い指が伸びた。
目じりにたまった、清らかな滴をそっと指の腹で掬い舐め取った。

「それは、俺のことだね?春……ごめん。いっぱい、傷つけて泣かせたね……」

春美は知らなかった。
その後、外の長椅子に腰を落とした聡一が、長い間そこにいたこと。
ベッドに横たわる包帯だらけの春美を思って、耐え切れず聡一が顔を覆って嗚咽を漏らしていたこと。

「春……春……」

決して伝えてはいけない気持ちだった。
例え望まない結婚でも、伴侶を得、跡継ぎを作った。
ずっと君が好きでした……なんて、歌のタイトルだけで十分だ。

春美が階段から落ちてゆくところを見てしまった聡一は、心臓が縮み上がるような恐怖を味わった。
自分も落ちる勢いで、必死に春美に手を伸ばしたが間に合わなかった。
冷凍の魚のように、コンクリートの踊り場で弾んだ春が、白い顔をより白くして倒れこんでいた時、失うのではないかと思い呆然とした。
一瞬、視線が絡んだ気がしたが、気のせいに違いない。
春美が、冷酷な自分に向かって、助けを求めて手を伸ばすわけなどなかった。

可愛くてたまらない下級生に、毎日のように、子猫のひげをライターで焼くような残酷ないたずらをした。
身悶えしながら、冷たい自分を恋うて縋る子猫は鳴いた。

「先輩が好きです」と……。

思い通りにならない日々の葛藤を、素直な愛らしい下級生に向け憂さを晴らした。
自分の代わりに、涙をこぼして泣いてくれと心の内で叫んだ。

青い時代の苦しみを、誰かに移し共に泣いて欲しかっただけの未熟で身勝手な自分。
精通が始まったばかりの後輩を、日ごとゆがんだ快楽の海に叩き込んだ。
白い精の散った床を、泣きながら拭いていた。

春が……
数年ぶりに自分の正面に立ち、変わらずぎこちない柔らかな笑顔を向けてきた時、聡一は理解した。
春美が、自分を許すわけなどない。






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