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小説・約束・52 

ちょうど今、いつもより帰りの遅い良平を心配して、民は表へ出た所だった。
すぐそこに、先ほど走り出したはずの、ドイツ車が停まっているのが見える。
腕をつかまれた良平の泣きそうな顔を察して、声をかけた。

「坊ちゃま。大旦那様が呼んでらっしゃいますよ!」

「民さんっ・・・!」

果たして良平は、出来のいい猟犬のように駆け戻ってきた。

「あ、危なかった~・・・。ありがと、民さん。」

良平は、上がりかまちに腰を抜かした。
砂塵を吹き上げて、去り行く車の中に氷の横顔があった。
車内鏡で、後を見てふっと息を吐いた。

「つまらない。もう少しだったのに、逃げられてしまったな・・・。たまには、ああいう毛色の違うのを連れ込んで、泣かせてみたかったのに。」

「従順なのはつまらない・・・今度は、ああいう調教のし甲斐のある子が欲しいな・・・」

横に座る、父親の膝にしなだれかかった。
濃い血の遺伝は性癖まで受け継がれて、妾腹の息子は当主と気性まで似ていると評判だった。
何も知らなければ類まれな美しさは、まるで食虫植物が獲物を魅惑する手段のように人を引きつけた。
いずれ貴族はその地位と名誉を失い、軍の上層部は戦犯として拘留され、誇り高い自尊心も塵にまみれることになる。
軍閥も財閥も解体されることを、彼らは薄々感じ取っていた。
地に落ちた彼等が、再び才覚一つで裏世界に君臨してゆく、冷酷な美貌の首領の話は、又違う話になる・・・
祖父は、庭で何かを燃やしていた。

「お爺様。そこで大久保伯爵に会いました。」

驚いて取り落としたネガと現像された写真の束がばさばさと、落ちた。

「何を燃やしていたんです?・・・」

拾おうとして、写真より先に、思わず焔に映える祖父の頬の涙を認めた。

「おまえは、見ないほうがいい。」

「先ほど、大久保が届けて来たものだ。」

伸ばしかけた手が止まった。

「全く、最後の最後まであいつのやることは・・・」

ネガは熱で歪み、すぐに炎をあげた。
それは確かに、良平には見せないほうがいい代物だった。
上層部に顔の聞く大久保伯は、終戦間近を知り、保身に余念がないらしい。
少しでも印象を悪くするものは、極力焼却処分としていた。
愛人とも手を切り、盛名広大に正義の一心で起こした聖戦だっと嘘ぶいて、戦後に言い逃れするつもりだろうと祖父は語った。
誰かに罪を平気で被せ、救われたのは自分が神に愛でられているからだと平然と語るだろう。
良平の祖父、佐藤良太郎は多くの債務者に大久保伯の息がかかっていたことを調べ上げて、凛斗を自由にしてやってくれと頭を下げた。
古い知己だった大久保伯は、債務のかたを付けに行った佐藤に、こういったのだ。

「そうか。お前の孫なら返してやろう。」

「ドイツから新しい短銃が届いたので、明日辺り試し撃ちしようと思っていたところなんだが・・・」

「まあ、いい。他のをやるさ。」

懐かしそうに学生時代の昔話を平然と語りながら、続木男爵が引き金を引いたことなど何の意にも介さない。
金で買ったものは、人だろうが何だろうが全て自由になると思っていた。
何を起こしても、膨大な財産と伯爵という地位でなんとでもなると、本気で思っている性格破綻者だった。
だから、良平が凛斗を連れ帰ったとき、心底安堵した。
自分が良平でも、きっとそうしただろう予感はあった。
そこで話は終わったはずだったのに、どうやら大久保には未練が沸いたらしかった。
爵位を譲る予定の息子を同道して、家にまで渡すものがあったと乗り込んできた。

「どうせ燃やすものだから、お前にやろうと思ってな。」

連れてきた息子は、学生の頃の大久保と慇懃無礼なところまで、そっくりだった。
瓜二つの肉薄の細面、一見少女の面差しでいながら残酷な性癖は、一目でわかった。
茶封筒にぎっしりと詰まった、ネガと写真の束を突き出して、自分が責任を持って最後にするから、父を凛斗に会わせてやってくれと言ってきたのだ。
でないとこれを、特攻警察に渡しても良いんですよと嘯いた。

「ほら、この角度から見ると、あなたも硝子球のようだと思いませんか・・・?」

抜け落ちた記憶はいっそ戻らない方が良いかもしれないと思っていた矢先だった。
日々、傷は癒え、一人できちんと食事もできるようになって、凛斗は元気を取り戻そうとしている。
当初は捕らえられた野うさぎのように、神経質に震えているばかりだったのだ。
そんな凛斗を、会わせるわけにはいかなかった。
二言はないはずだと、全部聞き終わらないうちに大久保伯と息子を追い返したばかりだった。


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