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小説・約束・46 

母親には、聞きたいことが山ほどあった。
ずっと一人だった凛斗が咽ぶ姿を見て、良平は心から良かったと思う。
熱にまどろむ凛斗を傍らに置き、その手を握ったまま、母は過去を語り始めた。
それは軍国少年の良平にとっては、どこか遠い真実味の薄い話だった。
母の異国の恋人の話も、凛斗の青い瞳がなければ信じられなかっただろう。
少しずつ点と点がつながり、良平にも見える線になってゆく。

「米国でしばらく暮らしてきた私たちにとっては、この戦争がすぐに終わるだろうという楽観があったの。少しでも米国を知る者は、日本をほんの赤子のような国だと分かっていたと思う・・・。

石油も鉄も何一つ、自国で調達できる量はないと知っていたし、だからこそ全ての情報の入る外務省のある東京で暮らすことも、病院を起こすことも全て帰りの船の中で描いた青写真だったの。」
長い話を、固唾を呑んで良平は真剣に聞いた。

「大使館勤務の若い医師夫婦が、眼をわずらった子供を連れて帰国することにすれば、旅券は簡単に手に入った。手術後なので包帯は取れないと、医師であるお父様が説明すれば、下船も簡単だった・・・日本の敗戦で終戦に向かえば、おそらく英語に堪能なお父さんは政府に招集されるはず。
そうすれば政府の高官を通じて、凛斗の父親トマスの安否も知ることができるだろうと簡単に考えたの。」

「でも、国際連合を脱退して、世界の孤児になる道を選んだ大使に、拍手喝采が送られるのを観たとき、私たちはこの国の暴走する狂気に気が付いてしまった・・・。きっと、全てをなくすまで誰も戦争をやめようとは、言い出さない。
だからわたしは、これ以上お父さんに甘えるのをやめて、子供と二人、親元に身を寄せる道を選んだの。二人だけなら許してもらえると思ったけれど、頼みの母親が死亡してから、すべて米国へ旅立つ前と変わっていた・・・」

心配した佐藤が、実家に駆けつけたとき、応対していたのは、続木男爵の何人かいた愛人の一人だったのだ。
そして凛斗の母親、佐藤沙代子は「郵便自転車を眺めると、今でも身がすくむ思いがする・・・」と、話した。

「電報が届いた日、はやり病で亡くなったとしかかかれていない短い電文に、これは嘘だと思ったけど確かめたりできなかった・・・きっと会いに行くという、守れない約束は、わたしにとっても大切な支えだったの。別れた凛斗が、いきなり死んだと聞かされても、信じられなかった。」

母の、凛斗を思う気持ち。
誰が責めたりできただろう。
手放したのは、ただこの国で、子供を守りたい一心だった。

「すぐにでも飛んでゆきたかったけれど、きっと墓に参ることすらあの女は許さないと分かっていた。何故、凛斗を委ねてしまったのか。わたしは、狐狸の巣に大切な子供を置き去りにしてしまったの。」

「でもね、憎しみに囚われそうになったとき、救ってくれたのは幼い良平、あなただったの。」

「僕・・・?」

「そう・・・良平が、泣いている私に「いいこね」って言ったのよ。

別れ際、3つの凛斗を引き寄せて、最後にかけた言葉・・・

「誰かのためでなければ、足元が崩れ落ちそうだったけど、嘘つきなあの女がついたのが本当の嘘でよかった。」

母は、潤んだ瞳でそう語った。
・・・そんな話を、良平は初めて聞いた。
ちびの僕、やるじゃん・・・

「お父さんが、東京の病院をたたんで四国に疎開を決めたとき、そうするのが一番いいと思いながら毎日、リンのことばかり思い出して何も手につかなかった。佐藤のお義父さまはとても優しい方だから、全てを知っても何もおっしゃらなかったけど、続木の名を聞くたび苦しかった・・・」

そして、母はついと席を立ち、自室から一葉の写真を持ってきた。

「これを、見て。」

そこに写っていたのは、軍服を着た若い米国の兵士と、凛斗と、母親だった。

「これは、トマスの友人の写真館で、帰国する前に撮ったの。良平のお父様が、これだけは持っていなさいとおっしゃったの。」

「リンのとうさま。」

目覚めて写真を指差す凛斗は、子供のように笑った。
良平もつられて思わず微笑むような、無垢な極上の笑顔の凛斗。

・・・その日から、凛斗の何かが少し変だった・・・

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