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命 一葉 (いのち ひとは) 2 

嶋原屋に病の一衛を預けた直正は、やがて主の口利きで、正式に警官の職を得て、同郷の会津藩家老、佐川官兵衛の元で働けるようになった。
喜びにこけつまろびつしながら、直正は帰ってきた。

「決まったぞ!一衛!積年の念願かなって、職が決まった。これも皆、嶋原屋どののおかげだ。おまえも礼を言ってくれ」
「直正様、それはようございました。」

一衛は久しぶりに、明るい顔で話す直正を見るのが嬉しい。

「おまえも知って居るだろう?勇猛果敢なご家老、佐川官兵衛さまの元で働けるとは、苦労して東京にでてきた甲斐があったというものだ」

直正は大層喜び、その後支度金をそっくりそのまま一衛の食い扶持として「嶋原屋」の主に面会し渡そうとした。

「その方の口利きがあればこそ、警官として働けることになった。このとおり、礼を言う。ついては、下された支度金をこれまで一衛にかかった食い扶持として受け取ってくれ」

嶋原屋は、盆に載せた金を指先でついと戻した。

「これは、受け取るわけにはまいりません」
「何故だ?これまでは好意に甘えてきたが、今はこうして禄を頂く身分となったのだから、これは是が非にも受け取ってもらいたい」
「直正様には申し訳ございません。内分にしておりましたが、実は……一衛さまには食い扶持以上に、嶋原屋の裏稼業のお手伝いをしていただいております。」
「裏の手伝いとは?あれは、療養のために、ここにいるはずだが」

いやな響きだと、直正は思った。

「一度はお止めいたしましたが、ご自分にできることはないかとおっしゃいまして。気分の良い日をお選びいただいて、何度か上客とお肌をお合わせ願いました」
「一衛が自ら望んで……?馬鹿な、一衛は無垢だぞ……」

嶋原屋は表向き女郎屋の看板を上げているが、裏では見目良い若い男を集めて、政府要人のための隠微な陰間遊びをする場所としても使われていた。
武家の社会を滅ぼして、武士の真似事をする新政府の要人に、はらわたが煮えくり返る思いだった。
病の一衛によりによって身を売らせたと知り、直正は激昂する。
虐げられた故国、失った家中を思えば、敵とも思う今の政府要人に肌を許すなど生真面目な一衛が自ら望んだとはとても思えない。
すべて、嶋原屋の仕組んだ所業と思われた。

「嶋原屋っ!うぬが、親切ごかしに言ったのは戯言かっ!あれは、わたしが戦乱の中命を賭して護った、大切な者だ。けして粗末にはしないという言葉は偽りであったか。よりによって、武家の一衛に、男女郎(おとこえし)の真似事をさせるとは。そこに直れ!素っ首、貰い受ける」
「こ、これは……相馬様、御静まりください。話せばわかります」

怒りに任せて腰にある警官のサーベルを引き抜き、廊の中まで嶋原屋を追い回しているところへ、一衛が長い引きずりの着物を着て現れた。

「おやめください、直正さま」
「一衛……」

奥襟を深く抜いたしどけないその姿に思わず、がたとサーベルを取り落としかけた直正を、一衛はこちらへと自室に誘い込んだ。

「眩しいばかりの、ご立派な制服姿です。直正さま」
「一衛……」

直正には、一衛の姿に言葉が無かった。
一衛は青ざめた顔をごまかすために、薄く水おしろいを塗り、元々桜の花のようだった唇に紅を刷いていた。
男とも女とも付かぬ化粧を施して、息を短くつく一衛が艶やかに美しく見える自分の目を、恥じた。
これまで直正が知っている、誰よりも凄絶に美しかった。

「……一衛。すまぬ。知らぬこととは言え、守ってやれなかった。すまぬ」

小さく咳き込んだ一衛(かずえ)は、今や身をやつし、苦界といわれる花町にひっそりと咲く仇花になっていた。
雪深い会津に比べれば、少しでも東京は暖かいだろうと、道中無理をさせて連れてきた一衛の心中を思うと胸が痛む。
職探しにかまけ、長いこと一人にしてしまった自分が悪いと、直正は深く頭を下げた。
振り絞るように詫びの言葉を何度も、すまぬ……と繰り返した。
首筋に赤く散る、無数の吸痕を眺めて、ついにはらはらと直正は落涙した。

「すまぬ。嶋原屋を心底信用していた。一衛の身がこのように貶められているとは。すまぬ……一衛。俺が、仕事を求めて奔走している間に、このような仕儀になっていようとは……俺が手を引いたばかりに……」
「直正様。すべて一衛が自分で決めたことです。一衛は、武士の矜持を貫くよりも、あなた様の喜ぶ顔がみたかったのです。そうでなければ、一衛も会津の男です、とうに自害しておりますよ」

やわらかく薄日のように微笑んで、一衛はいつもと変わらない笑顔を向けた。
最初は嶋原屋で遊興をする客が、通ぶって奥に入り込み、見かけた一衛に無体を仕掛けた。
その場で、事を荒立てては親切な嶋原屋に迷惑がかかると思い、耐えて歯を食いしばったのがいけなかった。
行き倒れる寸前を救ってもらった嶋原屋への恩返しのために、疑いもせず身体を張る、そんな東北人の一途で生真面目な性分にまんまと鬼が付け込んだ。
嶋原屋にとって大切なお客人なのです。どうか、もう一度だけお助け下さいと頭を下げられ、否と首を振っていた一衛だったが、ある日とうとう頷いた。
嶋原屋は、一衛が諾と頷く交換条件を出してきたのだ。

「あなたをもう一度抱けたなら、直正様に正規の公職を紹介してくださるそうです」
「それは、新政府のお仕事に直正様が就けるということですか?」
「左様、一衛様のお気持ち一つで、直正様のご苦労が報われる次第です」
「わたしの……気持ち……」

引き手婆に薄く水おしろいを塗られ紅を引いたら、鏡の中に違う生き物がいた。
一衛の身体と引き換えに、何も知らず職を得た直正は、涙に咽ぶほど狂喜して一衛に朗報を告げたのだ。
そのまま、直正は訓練所に入隊して、身体をいとえよと声をかけたきり何日も留守をした。
そして一人、嶋原屋に留め置かれた一衛の身は、嵐の中の木の葉のように夜毎、誰かの手に翻弄されていた。

強張った身体が強引に拓かれて、一衛が声を殺して啼いた。
抱えた箱枕が、しとどな露に濡れたのを、直正は知らない。
肌を這う、太い指に怖気ながら一衛は脳裏でそれを直正と思って耐えた。

その頃、訓練に励み懸命に働く直正は早く一人前の警官となって、一衛と共に住む家を借りようと思っていた。
嬌声の聞こえる、女郎屋の離れではゆっくり養生も出来まいと、直正は心から一衛の身を案じていた。
互いを思いあいながら、一衛の地獄を知らなかった。

敷きっぱなしの布団の上で、ふと指を伸ばした一衛は、無言のまま直正の腕を取った。
いとおしむように、そっと指を絡めてその腕を胸に抱いた。
まるで散る寸前の桜花のようにいじらしく儚げな一衛の熱ましい頬にふと手を添えた。
直正はその涼しげな瞳が悟りきったかのように穏やかに澄んでいると気が付く。

「一衛。肺病の熱は、人肌が恋しくなると聞いたことがある。おまえもそうか?」
「ええ。だから、今も一衛は直正さまが恋しくて欲しくて狂おしいのです」

覗き込むと同時に髪が短くなっているのに気が付いて、直正は先ほどまでの憤りを忘れて、つい含み笑いを浮かべてしまった。

「……やっぱり、ざん切り頭は似合いませんか?いやだなぁ。楼主にお上のお沙汰だからといわれて、仕方なく短く切ったのですけれど」
「いや、ずいぶん可愛らしくなってしまったと思って。昔を思い出したのだ」

一衛はくす……と笑った。

「男の長髪は、このご時勢にご法度だといわれたらしようがありません。もう少し、早く来てくださったなら鼈甲のかんざしを挿したあでやかな花魁姿も見ていただけたのに。今はご覧のとおり、髷も結えぬみっともない男衆のような姿です」

少し悲しげに言う一衛の顔は、熱のせいでほんのりと紅が咲いていた。

「一衛は、昔からいつも器量良しだ。かといって、か弱い女子のようではなく今も変わらず、凛としているな」
「薬師が言うには……肺は腐りかけているそうですし、一衛の身体は、もうお終いです」

露を含んだ睫毛が、久しぶりの逢瀬を嬉しがっていたが、言葉のとおり身体は細く厚みが無くなり、影が薄くなっていた。

「ここの主は、おまえを大切にしてくれるというから、思い切って預けたのだが、俺が浅はかだった。今からでもいっそここを出よう」
「いいえ。生きている以上、男子たるもの食い扶持くらいは自分で稼がなければなりません。楼閣主も、慈善で店を構えているのではないのですから責めようもありません。わたしには、直正さまが居てくださいます。このような生き恥など、なんともありません」

お仕事、ご存分にお励みください、と一衛は願った。

「こうして、たまにお会いできれば、十分です。もはや、今生に何の未練もないお互いではありませんか。死に損ないは、死に損ないらしく刹那に生きとうございます」
「一衛」

胸に縋る細くなった肩に驚いて、なおも深く抱く手に力を込めた。
強く抱いていないと、このまま儚い淡雪のように手のひらで溶けてしまいそうだった。
雪見障子から見える、鮮やかな紅葉が一衛のどこまでも白い肌に一枚舞い降りて映えた。







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