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小説・約束・36 

眠っていた子供が、気が付いてぐずった。

「ほら、いらっしゃい。おばあちゃまですよ。」

ゆるく結んだ、眼の包帯がはらりと落ちた・・・
かむろに切り揃えた、母親似の美しい顔。
それは冷ややかに、下賎の女と自分に言い放った、正妻の顔でもあった。
凛斗の青い眼に、驚きのあまり二の句が継げなくなった後妻は、瞬時に脳裏に芸者時代に贔屓してくれた貴族の名前を思いついていた。
恐ろしい企てに、ふと悪魔の笑みがもれそうになる。
好事家の大久保伯爵のお眼鏡に適いそうな・・・
とんだ珍しい貢物が見つかったこと。
佐藤と沙代子は、後妻の思いがけない申し出に、顔を見合わせた。
市井の中で混血の子供を大きくするのは、とても難しいと二人は知っていた。
それは、佐藤もこれまでいくつもの例を見て判っていたことだった。
国に貢献した九州の商社の息子が、酷いいじめにあって自殺したのは、外務省でも有名な話だった。
母親さえ生きていれば、出来れば戦争が終わるまでの数年、隠れ住むため続木の家を当てにしたかった。
凛斗の無事と成長を考えると、後妻の恐ろしい思惑をよそに、それは生きながらえるには賢明な策と言えたかも知れない。
佐藤は一瞬で、続木の家を我が物のようにふるまう者達を、欲の深い質だと見破った。
だが、凛斗の秘密を思うと続木家の広い敷地と屋敷は、戦争が終わるまで隠れ住むには最適だと思える。
急ぎ、決断に迫られ佐藤は、金での解決を瞬時に決めた。

「では、あなたに養育料を送ります。毎月、一日に郵便小為替で50円。」

「そう・・・」

「どうか、子供を頼みます。」

二人を思い、血を吐く思いで、佐藤良輔は頭を下げた。
(当時、100円で家が建った)
「リン・・・お母さまは、しばらくしたらきっとお迎えに参りますからね。」

「かあさま。」

「おばあさまと、叔父様のおうちでいい子にしていてね。」

それ以上、言葉にならなかった。
父との別れをした今、再び母と別れて暮らすことになる、不憫な息子に詫びた。

「リン・・・ごめんね。一緒に住めるまで、少しの間待っていてね。」

「約束ね・・・?」

「そう、お父様とも約束したわね。約束ね。」

「佐藤の家の近くに、続木の離れがあったでしょう。あそこで、この子は暮らせばいいわ。」

高飛車に、後妻は宣言した。

「養育費、御一日(おついたち)に、くれぐれも遅れませんように。」

「必ず。」

半身を引きちぎられるような想いで、母は何とか笑顔を作った。

「リン。いらっしゃい。」

腕の中、何と心もとない愛おしい命だろうか・・・

「いい子ね・・・」

トマスが願った凛斗の幸せは、今や砂上の楼閣のような危うさを秘めていた。
そして、続木男爵は思い出す。

4年前。

先代が病死したわずか半年後、母の言うとおり佐藤と沙代子の暮らす東京の家に電報を送ったのだ。
生贄の子羊を、大久保伯爵に売り払うと約束したその前日に。
彼等の失意は想像に難くなかったが、凛斗は今や続木の家に必要な品物だった。

リント・ハヤリヤマイニテ・シボウ。ソウギスム。キキョウニ・オヨバズ

「さてと・・・。」

「俺も、いよいよ焼きが回ったな。」

応接間の洋箪笥には、軍から譲り受けた護身用のピストルが入っていた。

「散々酷い事したが、おまえだけが泣いてくれたなぁ、凛斗・・・」

本家のお嬢様は妾腹の自分には目映く、沙代子は子供時分から一度も言葉を交わしたことのない、高嶺の華だった。
憧れてやまなかった義理の姉に生き写しの凛が、抱きしめていってくれた言葉が全てだった。

「叔父様、かわいそうに・・・」と。

「ごめんな・・・リン・・・」

震える指が、撃鉄を起こす。

・・・続木男爵家は、その日廃絶した。

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