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Café アヴェク・トワで恋して29 


誰にも話したことはない。
尾上は寂しい子供だった。
物心ついた頃に両親が離婚し、尾上は母と、兄は父と暮らすことになった。

「お兄ちゃあん……」

家を出てゆくとき、振り返った小さな弟に、兄は手を振り返してはくれなかった。
厳しい顔をして、何度も振り返る弟と、出てゆく母の背中を見つめるだけだった。
家事の苦手な母の代わりに、幼稚園の弁当を詰め、お迎えに来てくれた優しい兄と、もう二度と会うことはできないと母が言う。

「お兄ちゃんは、お父さんを選んだの。だから、もう会えないの。バイバイするのよ。」

悲しくて締め付けられる小さな胸に追い打ちをかけるように、何もない部屋が待っていた。6畳一間のアパートは、母一人子一人が暮らすには精一杯の住処だったのかもしれない。
大好きな絵本も、戦隊もののおもちゃも、自分の部屋さえない生活になかなか慣れることができなかった。
姑との折り合いが悪く、家を出た母にとって、父親に似た上の息子は傍にいるのさえ我慢できない存在だったのかもしれない。
それでも、兄には経済的に苦労することのない環境があり、好きなものを制約されることはなかった。

やがて、母は生活のために幼い息子の手を引いて、夜の務めに出始めた。
脂粉と酒の匂いのする母と、まとわりつく男の影。

小学校に上がった頃、尾上は昔住んでいた家を訪ねたことがある。
別れの日、傷ついた兄弟に言葉はなかった。兄が恋しくて、弟は学校帰り家に向かった。
外から見上げた家に、明かりは灯り、家の中から響いてきた兄の声に、心は凍り付いた。
父はもう新しい家族を作っていた。
尾上の知らない女を、兄は母と呼んでいた。
女の腕の中には、見たこともない赤子が眠る。ぐずるその子を、兄は取り上げてあやした。
いつか、自分にそうしたように。

空の腹から苦い水がこみ上げてきて、その場にしゃがみ込んで尾上は吐いた。
もう、自分の居場所はちっぽけな6畳一間の片隅にしかない。
何も、欲しがってはいけない。
自分には、何もない。
お兄ちゃんは、あの子の物になったんだ。
現実の世界が突然、灰色の世界になった。

*****

母と引き込んだ男が、一つ布団で眠る部屋には帰りたくなかった。
押し入れの中で眠る子供の存在を知ってか知らずか、男は母を抱いた。
最初は子供がいるのよと抗っていた母の声が、やがて甘く盛りの付いた猫の嬌声に変わってゆく。
耳を抑えて丸くなっていたが、高学年になった頃から、逃げるように友達の家を転々とするようになった。
父と兄の事は、もう思い出さなくなっていた。




本日もお読みいただきありがとうございます。
尾上と黒崎の関係が明らかになります。

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