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終(つい)の花 50 

沖へ向かう小舟には、闘う兵士を置き去りにする慶喜と会津藩主、桑名藩主の姿があった。

*****

会津が鳥羽伏見の戦いで敗れたという、驚愕の知らせは、すぐに早馬で国許へ届けられた。

「会津が敗れた?」
「まさか!天子さまをお守りしている会津が、なぜ戦をせねばならんのだ。」
「それはまことか?」

上士たちの住む城下は、何もわからぬまま上を下への大騒ぎになっている。
大人たちは心配そうに顔を寄せた。

「義姉上。お聞きになりましたか?御家老さまの所に早馬が参ったそうです。」
「ええ。先ほど触れが参りました。どういういきさつかはわかりませんが、会津は薩摩と長州と戦になったようです。」
「天子さまをお守りに行くと聞いていましたのに、戦になるとは。……旦那さまは御無事でしょうか?」

直正の母は、努めて明るく笑った。

「分からぬことを心配しても詮無きことです。京の町は不穏で、いずれこのようなことになるかもしれないと、以前に直正から届いた便りに書いて有りました。わたくし達は何が有っても良いように、身の回りの整えだけはしておきましょう。」
「そうでしたか。では、わたくしもそう致します。一衛も日新館で何か聞いて来るでしょうから、帰りを待ちます。」

そう答える一衛の母も、直正の母も、共に日々道場で薙刀の鍛練をかかさない会津武士の妻女であった。
事が起こった時には、命を投げ出す覚悟はできている。
だが、会津に降りかかった恐ろしい災厄の詳細が分かるのは、京へ家族を同道した者たちと江戸詰め藩士達の帰郷が始まってからだった。

*****

強引に容保を同道した慶喜は、江戸に着いたとたん案の定、再び豹変し会津を切り捨てようとした。
江戸城に入った慶喜は、容保に登城を許さず、自分だけが恭順の意を示しこれを許されている。
驚いた容保は、直ぐに家老を使わし慶喜の真意を聞こうとしたが、登城した家老から将軍家の独りよがりな沙汰を聞き、顔色を失くした。

「会津は登城に及ばずとは……徳川は会津を捨てるおつもりか……?」

内心では二心公慶喜なら、自分だけが助かる道を模索することもあり得るかもしれないと覚悟していた。
容保は、心に反し言われるままに置き去りにしてきた藩兵たちだけを思った。

残された会津兵は、江戸に帰るために大変な苦労をした。
和歌山藩で怪我人を乗せる大型の船を借り、歩けるものは陸路で江戸を目指した。
土壇場で多くの幕府軍が裏切り、退却する会津軍の後詰は手を焼いていた。
容保は、すぐさま将軍家に追随し、朝廷に蟄居恭順の意向を示したが、慶喜と違い受け入れられることはなかった。

何故、命を下した将軍家が許されて、家臣である会津が許されなかったか。
将軍家に代わって、長州の遺恨と怨嗟を一身に受ける生贄が必要だったからだ。
将軍家は大阪城から逃げ出した理由を、会津の一家老、若い神保修理の進言であると公言し、責任逃れの方便に徹した。
なぜ一介の藩士に過ぎない神保修理の名を、慶喜が口にし責任を負わせるようなことを言ったのか理解できない。
仮にも幕府の最高責任者である慶喜は、保身のためになりふり構わなかったと言えるのではないだろうか。

慶喜は容保に登城も許さなかったばかりか、すぐに江戸から立ち去るようにと沙汰を出した。




本日もお読みいただきありがとうございます。(´・ω・`)

どんどんのっぴきならない状況に……(。´・ω`)ノ(つд・`。)・゚「ひどいよ、上さま……」 

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