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終(つい)の花 49 

その少し前、慶喜は容保だけを連れて天守にいた。
大切な密議を行うゆえ、誰も入って来るなと人払いをしていた。
金モールの付いたフランス式の軍服を身に着けた慶喜は、思い詰めた目をしている。
この小心な(言い換えれば思慮深い)男は、こういうものが自分に似合うと知っている。

「上さま。密議とはいったい何でしょうか?」
「うん。その事だがな、余はこれから東帰しようと思う。」
「東帰?まさか。戦は始まったばかりではありませぬか……!?」
「会津公と桑名公(容保の弟、桑名藩主)は余に従うように。直ぐに城を出る。」

容保は仰天した。
数日前に、会津兵は大阪城を出発して、京へ向かっている。

「上さま。会津兵はまだ京で戦っております。すぐに伝令をやっても、ここまで兵を引くには時がかかりましょう。」

慶喜は視線を彷徨わせた。
さすがに面と向かって江戸に逃げ帰るから供をせよ、と口に出来ない。

「いや、京の兵は置いて行くことにした。東帰するのは我らだけじゃ。誰にも気取られないよう秘密裏にな。」
「は……?しかし……大阪湾にいる軍艦は、海上から薩摩に砲撃をするために待機していると聞き及んでおります。上様も一旦、兵を大阪に集め反撃する御心積もりだったのでは?」
「ああ、榎本の軍艦か。その心づもりではあったが、今は東帰すべきが肝要と思う。榎本が乗って来た船で江戸へ帰る。」
「榎本殿は御存じなのですか?」
「いや。このことは、誰にも告げていない。」
「……お言葉なれど、東帰は承服致しかねまする。大阪城には軍資金、武器、兵糧も十分揃っております。籠城されるおつもりならば、どこまでもお供仕りますが、どうしても東帰されるなら、上様だけがお帰りになればよろしかろうと存じます。肥後には京都守護職をお引き受けして以来、苦楽を分かち合ったわが藩兵を見捨てるような真似はできませぬ。」
「肥後守……頼む。聞き分けてくれ。」

慶喜は涙ぐんだ。
容保の手を取り、余にはその方だけが頼りなのだと咽んで見せた。
芝居がかっている……と容保は思った。

「余に同道してくれ。今は親藩も譜代も信用できぬ。余には会津だけが……保科正之公以来、徳川第一に支えてきた会津松平家だけが頼りなのだ。江戸城に帰れば、余の深謀を明かそう。肥後……諾(うん)と言ってくれぬか。」

容保はどう返答するべきか、思案を巡らせた。
逃げ帰った先に、どんな策があるというのだろうか。今も京で、会津兵は死に物狂いの戦場にいる。
会津守護職を拝命して6年、藩士たちが命がけであたった激務さえ、慰労するどころか、幕閣などは愚直なまでの容保の仕事ぶりを、露骨に揶揄するありさまだった。
その場にいた慶喜は、会津の苦労を知りながら、家柄だけの良い傲岸不遜な彼らをたしなめたりもしなかった。
直ぐに意見を変えるこの短慮な男に、深謀など本当にあるのだろうか。

「上さま、肥後は……」

容保はきっぱり断るべきかどうか、逡巡していた。

「肥後守。保科公なら、きっと迷うことなく余の供をするはずじゃ。」
「家訓……」

藩祖の遺訓が、どこまでも容保を苦しめていた。
会津松平家に養子に入った日から、容保は日々、江戸家老から会津藩主になるための教育を受けた。
容保にとっては、何よりも重く身に染みた家訓だった。
結局、容保は徳川宗家、慶喜を見捨てられず供をすることになる。

大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。

(徳川将軍家については、一心に忠義に励むべきで、他の諸藩と同じ程度の忠義で満足していてはならない。
もし徳川将軍家に対して逆意を抱くような会津藩主があらわれたならば、そんな者は我が子孫ではないから、家臣は決して従ってはならない。)

「ああ……」

容保は空を仰いだ。




本日もお読みいただきありがとうございます。(〃゚∇゚〃)

徳川慶喜に関しては、いろいろな評価があります。
容保を伴って大阪城を離れたところなど、会津にとってはあまり、いい人ではなかったような気がしますが、考え方が現代的過ぎたのかもしれません。
どっちの目線で見るかで、見え方が違ってくるのです。
見た目だけでいうと、こちらも洋装の似合うきれいなお殿様でした。(*´▽`*)←
自分の写真を海外の君主に送り付けるほど、自信家でもあったみたいです。   此花咲耶

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