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終(つい)の花 44 

幼い日、直正が一衛を心配する余り、追鳥狩の狩場に薬草を摘みに分け入ったのを思い出す。
頼もしい甥が、息子をいつまでも小さな子供のように思っているのが嬉しくもあり、おかしかった。

「笑いましたな、叔父上。しかし近頃は藩士の皆さま方も殺気立っておられますから、なおさらわたしには穏やかな会津の暮らしが懐かしいのです。故郷で待っている一衛や母上は変わらずに居てくれるでしょうから。」
「そうだな。会津は変わるまい。さ、交代の時間だ。急ぐぞ。」

藩邸への帰り道、どこかでつばぜり合いの音がするのを、聞いた。いつしかそんな音にも驚かなくなっている。それほど京は物騒な町になっていた。

「殿の御供しで、早ぐ会津に帰りてぇな。」
「そうだなし。そろそろ雪の頃だべ。」

ふと、訛りが口を吐く。

*****

その時は突然に来た。
京都を長く守護してきた会津藩士は、薩摩藩兵が御所の九門をすべて閉鎖しているのを目撃する。

「どういうことだ?何故薩摩が……?」

竹矢来を組み、御所の警備につく薩摩の軍勢は、新式銃を装備し揃いの妙な黒い三角帽をかぶっていた。わずかな間に、薩摩藩は西洋式の軍備を整えている。
会津藩士は動揺を隠せなかった。かつて長州藩を京から追放したときと同じ既視感に見舞われた。
呆然と薩長軍の備えを眺めた。

「王政復古の大号令の詔だと?」
「それは何だ?大樹公(慶喜)は、朝廷に大政を奉還したではないか?」
「薩摩が長州と手を結んで祐宮(さちのみや)さま(明治天皇のこと)と外祖父の中川宮を取り込んだのだ。慶喜公に取って代わる気に違いない。」
「やられたか……」

幕府と会津の知らないところで、会津を葬り去る謀議が、薩長の手によって秘密裏に運ばれていた。
京都での容保の働きは目覚ましいものではあったが、敵を作りすぎたといえるかもしれない。

身の危険を感じた慶喜の下知により、容保が参内していないうちに、小御所会議(朝議)が開かれたのも、討幕派の陰謀だった。
ずるずると処置決定が長引く長州征伐に関して、明治帝の前で全面的に長州藩主を赦免すると決まった。
旧幕府側を朝敵に仕立て上げるよう薩摩と長州の主導によって、速やかに討幕は決められ徳川慶喜の官位、内大臣の剥奪、天領800万石の没収、そして慶喜に組した摂関家の廃絶が決まった。
御簾の向こうで玉座に控える、16歳の明治天皇の裁可がそのまま通る方がおかしい。みずらに髪を結った少年が、いきなり幕府討伐を言いだすだろうか。そこには帝の外祖父に近付いた薩摩藩の大久保の影があった。

討幕派はかつて京都の治安を乱し、洛内外を破壊し、孝明天皇を悩ませた。
その上、宮城に発砲した長州を寛大に処置すると言う席に、将軍慶喜も容保も容保の弟、桑名藩主もいなかった。
公武合体派であった大名も、鵺(ぬえ)の持つ狂気に恐れをなしてわが身保身の為に寝返った。
幕府と薩摩長州の戦いは、革命ではなく私闘であると、山内容堂は正論を言い放ったが直ぐに口をつぐむことになる。
一方的な会議の内容に、せめて徳川慶喜が参内している時に話をすべきではないかと、最後まで食い下がる土佐藩主に薩摩藩の大久保が近づき耳打ちした。豪放磊落で名の知れた山内容堂公の顔が瞬時に青ざめたのを、周囲は認めた。

「容堂公。騒ぐものを黙らせる法をご存じか?」
「……何と?」
「薩摩では、短刀が一振り有れば良い。黙らせてご覧にいれる。」

それは、たとえ一国の藩主であっても、これ以上、口出しするなら暗殺もやむなしという恫喝だった。反対意見を通そうとするならば、貴藩も朝敵となるお覚悟ですなと続けられ、それ以降、土佐藩主は口をつぐみ急病を理由に国許に引きこもっている。
もはや、暴挙を止めるものはどこにもいなかった。




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