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終(つい)の花 39 

会津の重臣たちは、渋面を揃えて容保の前にいた。
叩けるときに長州藩を叩くべしと言う会津藩の進言を一度は納得しておきながら、徳川慶喜はあっさりと反故にしたと容保から報告を受けた。

「信じられぬ。一体、徳川慶喜公は会津を何だと思っているのだ。殿を御引き留めになる帝のお気持ちを考えると、率先して自ら出陣すべきではないのか。長州を相手に臆病風に吹かれたとしか思えぬ。」
「あちらへふらふら、こちらへふらふら。徳川宗家はまるで糸の切れた凧のようじゃ。我らは割を食うばかりでござる。もうこの上は、信用できませぬ。」
「誠に、難儀な将軍家じゃ。」

容保もさすがに庇わなかった。

「殿も我らも、長らく出来ぬ堪忍をして参ったというのに、将軍家は何をお考えなのか。」
「この上は、お役目返上も致し方あるまい。会津がこれまでしてきた苦労は一体誰のせいか、お分かりなのであろうか。」

主従揃ってため息をついた。
もう幕府を見限ってしまっても良いのではないかと気持ちで、慶喜に対面した容保であったが、お役目返上の気配に慌てた慶喜は、実弟を容保の養子にしてはどうかと言って来た。
「肥後どの。わたしとそなたの結びつきをもっと強くするために、弟を養子にもらってはくれないだろうか?」
「容保には実子がおりませぬゆえ、ありがたい仰せなれど、どの弟君を会津に下さいますか?」
「余八麿はどうかな?」
「それは是非にも。」

実子のない容保は、利発と名高い余八麿の名を聞き喜んだが、結局この約束は反故にされている。
会津藩の養子になったのは、容保の望んだ聡明な余八麿ではなく19番目の弟、余九麿だった。(のちに養子縁組は解消されている)

容保は藩祖の遺した家訓に縛られ、多くの犠牲を払って幕府に仕えて来た。
慶喜にいいように振り回されて、もうこれ以上の忠義立てをする必要がないのではないかと、口にする者もいた。
慶喜と共に行動することで、京都での容保の立場は危うくなっている。
慶喜の態度に容保は憤り、ついに幕府にお役御免を願い出たが、またも老中に慰留されている。
疲れ果てた藩主は寝付く日が多くなった。

*****

容保の悲運は重なった。
深夜密かに御所からもたらされた一つの知らせは、会津全藩を揺るがせかねない一大事だった。
幕府から派遣された容保に、全幅の信頼をよせた孝明天皇が、天然痘に罹患した。

「殿!すぐにお支度を。」
「わかっておる。」

知らせを聞いた容保は、夜半急ぎ参内している。
京都は容保にとって、決して望んで訪れた土地ではなかったが、孝明天皇と容保は思いがけず分かりあえた。
互いに手を取り、落としどころを見つけ、戦争を回避して穏やかに公武一和を目指そうとしていた二人だった。
孝明天皇がもう少し長く存命していれば、日本の国は違った国になっていたかもしれない。
乱暴に全てを打ち砕きながら邁進するような正義を、帝は望まなかった。

「……肥後……守。」
「これに控えておりまする。」
「近う……」

御簾の向こうから帝が力なく招くのに応じて、容保はにじり寄った。
その頬は濡れていた。

「すま……ぬ。これからという大事な時に、朕は……その方を一人にするのだな……」
「何をお気の弱いことをおっしゃいます。思ったよりも御病状は軽うございまする。肥後は、こうして間近にご尊顔を拝し奉り、心底安堵いたしました。」
「……うん。だが痘瘡ゆえ、熱が引けば醜い風体になろうな……」
「肥後には、ただ一人の帝でありますれば、そのようなこと御案じなさいますな。帝が宮城におわして下さるだけで、肥後は百万の味方を得た気がして心強いのです。」
「そうか、心強いか。」
「この上も無く。」
「そう……か。肥後も帰って休め……朕も休もう。」
「主上……(おかみ)。」

呼ばれた帝は薄く目を開け、容保に力の無い視線を注いだ。
思わず心の声が口を吐(つ)く。

「肥後を……一人になさいますな……?」
「……」

帝は小さく肯いた。




本日もお読みいただきありがとうございます。
(´・ω・`) 会津にとって大切な孝明天皇が病気になってしまいました。

(´;ω;`)主上(おかみ)……


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