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終(つい)の花 25 

酩酊した直正の脳裏に、過ぎた日に自分を庇ってくれた、澄んだ瞳の線の細い貴公子の姿がゆらりと浮かんだ。
追鳥狩りで犯した、まだ幼い直正の無礼をあっぱれと笑顔で褒めてくれた容保の為に、いつか命を掛けて奉公すると心に決めていたが、その時がいよいよ近づいて来たのかもしれない。

直正が誰よりも敬愛する容保は、その頃、会津松平家藩祖の記した家訓に縛られて抜き差しならない状態になっていた。
会津の長い冬の始まりに、昏い歴史の歯車が、ごと……と鈍い音を軋ませて、純朴な人々を飲み込もうとしている。
一衛の父は、風が冷たくなった頃に、幼い一衛に手を振って家を出たきりだ。
律義な一衛の父は、妻子の待つ家に立ち寄ることなく蝦夷から船で直接江戸に向かった。

何度も固く辞した京都守護職御下命を、ついに容保が受け入れた時、藩内でも名の聞こえた手練れの一衛の父は、多くの藩士と共に江戸から合流する警護筆頭のお役目についた。
そしてその後、二度と一衛と妻に会う事は叶わなかった。
京都鳥羽伏見の戦いで、勇猛果敢に敵陣に切り込んだ一衛の父は、敵の血糊で刀を落とさないように愛刀を手首に縛り付けたまま絶命する。
斃れた叔父の最期を看取ったのは、鳥羽伏見の戦いで鉄砲隊隊長に抜擢された直正だった。

*****

年が明けると、藩内は俄かに慌ただしくなった。
会津藩では苦しい台所事情を訴え、京都守護職を引き受ける前、何度もお役目返上を試みている。
その頃、幕府にはあてに出来るような諸藩が無く、会津の訴えは僅かな慰労金を引きだしただけで徒労に終わった。

事態を聞いた会津藩家老は、辞退を強く勧めるべく直ぐに国許を出立したが、上手くいかなかった。
容保に対面した国家老は、やつれた藩主が口にした家訓の話にいさめる言葉を失った。

「会津藩に御家訓(かきん)がある以上、これ以上の御下命辞退はままならぬ……」

12歳で養子に入って以来、江戸屋敷で家老山川に教義ともいうべき会津武士道を叩きこまれた容保は、常に家訓と共に生きることを求められてきた。
それを知っている福井藩主松平春嶽と将軍後見職の一橋慶喜は、容保の弱みに付け込むように、家訓の第1条を持ち出して何度も病床の容保を訪ね、強引に直談判を繰り返している。

「さて、今日こそは良いお返事を頂けますかな?」
「それは……間もなく国許から参る……家老と相談の上……」
「いや。藩主のそこもとが一声、下知を飛ばせば済む話でござる。肥後どの、いかが。」
「う……む。」
「松平どの、一橋どの。殿は最近お風邪を召して、お身体の御具合がすぐれませぬゆえ、お返事は後日にさせていただきたく……何とぞ、今日の所はお引き取り願いたい。」
「江戸家老どのか。では、そなたが肥後どのの代わりに一言、この役目を受けると言うてくれぬか。さすれば、我らは早々に退散するとしよう。」
「……お返事は後日。後日必ずと殿が申しておりまする……!」

二人は顔を見合わせた。殆ど本丸は落ちていると踏んでいる。
苦渋の表情を浮かべる容保の様子をうかがい、余裕の笑みを浮かべていた。

「そこまで言うなら、そこもとの意を汲んで本日は退くとしよう。では、肥後どの。近日中に必ず良い返事をな。お身体、重々お気を付けられよ。これからのお役目、そのようなご病弱では務まりませぬぞ。」
「いやいや、そのような心配は無用のものと存ずる。肥後どのは名に聞こえた会津武士の棟梁でござるからな。」
「そうか、これはしたり。心配などはかえって無礼であったな。よもや、藩祖保科さまの御遺訓を反故にされるようなことはありますまいと、我ら信じており申すぞ。」
「じ、熟考の上……うっ……ごほっ……!」

容保は激しく咳き込み、布団に突っ伏した。




会津はこれからどうなってしまうのでしょうか……(´・ω・`)
史実通りなので、これから大変です。
殿はお体が弱く、家臣はとても心配しました。国許でも、まるで挨拶のように「殿はお元気でしょうか。」と言葉が交わされていたそうです。

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