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桃花散る里の秘め 6 

いつもは大姫に合わせ、ゆっくりと歩く義高であったが、今は大股で走るように歩く。
川沿いをずんずんと進む義高の姿は、すぐに松の大木の向こうに見えなくなって、大姫は義高の名を呼びながら半べそをかき、必死に後を追った。
川に沿ったままどこまでも歩いて行けば、道に迷うことはない。
ただ夜半の雨で、足元の草は濡れ、苔の生えた小さな石橋は滑りやすくなっていた。

***

一方、別れたばかりの大姫が、後を付いてきているなどとは思わなかった義高は、目的の場所でさっそく魚釣りの道具を広げている。
小さな竹かごの中に、義高は仕掛けを持って来ていた。国許から持参した組み立て式の竿を伸ばし、羽虫に似せた毛バリを付ける。
鮎を釣るには友釣りが有名だが、初心者には難しい。これならば若さまにも使いやすかろうと、供についてきた守役の老人が器用に作ってくれたものだ。

刀を外し、くるくると荷駄にすると、人気のないのを確かめて木の上にくくり付けた。人質の身であっても、武家の子として差料(刀)は地味なこしらえながら銘あるものを持っていた。父から譲り受けた武士の魂は、何を置いても大切にせねばならない。

着物を脱いで褌一つの姿になると、義高は流れの速い川の中に入って行く。
大姫に向ける優しげな顔の持ち主は、常に鍛錬を怠らず、元服前とは言いながら着物の下から現れたものは、薄く筋肉の乗った見事な身体を水に沈めた。

国家老も優れた資質を持った義高に目を掛け、藩士の子弟の中に入り藩校で学ぶことを許している。
多くの友人もでき、藩校の帰りに遊びに誘われることもあったが、義高は丁重に断りを入れた。

「もしや大槻殿は、国家老の御息女のお相手か?」

「ほとんど姿を見せないが、ずいぶんと美形らしいな。」

「三国一の美姫と言われた奥方さまに似たのなら、きっと相当なものだろう。ご縁談などもすでにあるのではないか?」

「さあ、それは存じませぬ。わたしはお預けの身ですから、滅多に姫さまのお相手は致しませんし、国許から連れて参った老人が退屈して待っておりますので、藩校から帰った日は皆様の話を致します。」

「そうか。我らの話を?」

「はい。爺は奥州一の武門の方々の話を、聞くのがとても好きなのです。話の返礼に関ヶ原で上げた武功の話を、耳にタコができるほど聞かされるのは難儀ですけれど。」

「年寄りの話とはそういったものだ。だが、年よりは国の宝、大事に致さねばな。」

「はい、そういたします。では、皆様方。これにて御免。」

ふっと義高の顔に笑みが浮かぶ。

あの可愛らしい姫は、やはり家中の間でも話題に上るのだなと思う。
少年たちは、ほとんど見たことのない大姫のことを噂し合った。

年寄りと囲碁を打ちながら話をするのは本当だが、いつも傍らには盤を覗き込む大姫の姿があった。
門番に叱られないよう、毎日門の内側で、目を輝かせて義高の帰りを今か今かと待っていた。
友人たちにごまかしたのが、何やら大切な宝物を独り占めしているようで、何処か気恥ずかしくなった義高である。

ぱしゃと魚が跳ねた。




本日もお読みいただき、ありがとうございます。(〃゚∇゚〃)
ちょっと、補足しまっす。(`・ω・´)

義高は隣国の大槻家から、人質として来ています。
殿さまの城、またはお屋敷で暮らすのが普通なのですが、義高はまだほんの子供だったので、幼い姫のいる国家老の家にお預けの身となりました。ちなみに三男坊です。

戦国の時代、人質は保険のような意味合いもありましたので、裏切りなどがない場合大切にされました。
徳川家康なども、長く人質暮らしをしていましたが、その間に学問を身に着けたとされています。
藩主のお許しを得て、義高は藩校で同じ年頃の少年たちと、学問をし体を鍛えています。

裏切りがあった場合、死罪の時もあれば、国許に帰されることもありました。(`・ω・´)



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