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小説・蜻蛉の記(貴久の心)・6 

「殿。遠路はるばる参った奥方様を、お一人にしてはなりませぬ。

お袖には、この殿と血を分けた腹の子がおりますゆえ寂しくはありませぬ。

どうか奥方様をお大切に、お側に居て差し上げてくださいまし。」


そういって馬を見送るお袖の方が愛おしくて、駆け戻ったこともあったという父上。


だからわたしは物心付いたとき、先に生まれたのに何故弟を兄上と呼ばねばならぬのか不思議だったが
、側室腹という自分の出自については、何の不満もなかった。



馬に上手く乗れても、剣術が上達しても母上は決まってこういうのだ。


「貴久。それでこそ兄上のお役に立てるというもの。」


わたしは、母上が喜ぶのがうれしくて軍学や勉学にも励んだけれど、まだ見ぬ兄上のために命を賭さねばならないのは解せなかった。


母上は、いつも自分が平和に暮らせるのを、父上のおかげと感謝していた。


そして、家中に揉め事なく暮らせるありがたみを身をもって知っていたからこそ、幕府から押し付けられた縁談をお受けなさいませと言ったのだと思う。


いつ何時、失われても仕方のない厳しい戦場で、少ない家中ともども命からがら逃れてきた身を受け入れてくれたこの三里藩を、どれだけ愛したことか・・・


全ては家中が皆、平和に暮らせること。


それだけが、母上、お袖の方の願いだった。

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