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花菱楼の緋桜 17 【最終話】 

今年も花菱楼の坪庭の八重桜は、爛漫と花をつけた。

磯良は国許に帰り山仕事をしながら、いつか緋桜の年季が明けるのを待っている。
あれから幾たびかの季節が廻り、青海花魁は落籍(ひか)されて、銀行家の妾になっていた。
緋桜花魁の絢爛豪華な花魁道中のあの日から、もう4年の月日が流れている。

*****

「緋桜、気分はどうだ?」

青海花魁は落籍し、自由の身になっても、暇さえあれば裏木戸を抜けて、顔を出した。明るい声で勝手知ったる我が家のように、いまだに足しげく緋桜の様子を覗きに通って来ていた。
そっと、庭に面した雪見障子から、布団の中にいる緋桜に声を掛けた。

「表に人力を呼んでおいた。磯良さんはまだかい?」

「青海兄さん……あ、今は柊三郎さんでありんしたね。」

「中でそう呼ぶのはいいけど、余所で青海と呼ぶのはやめておくれよ。お前、この間牛鍋屋で、俺を青海花魁と呼んだだろう。カフェの給仕が目を白黒させていたじゃないか。」

「あい、すみませぬ。ついうっかり……。」

悪戯を見つかった子供のように、くすくすと緋桜は笑った。
娼妓の花の盛りは短い。
天下の花菱楼と言えども、他の廓と同じように花魁の引退は27歳と決まっている。
故郷に行き場の無い者は、好きで居続けをする者もいて、その後も番頭新造、やり手と職に困るようなことはなかった。花菱楼の楼閣主は、自分がした辛い目を娼妓たちがせぬように、働く者たちに至極寛容だった。
元より、大金で取引される花菱楼の花魁たちは、年季明けなど名ばかりで恩返しと称して籍を置いているものも多い。緋桜花魁は二十一歳で年季が明けて、晴れてここを出てゆく。

「緋桜。おまえの磯良さんが、迎えに来るのはもうすぐかい?」

「あ……い。もうじきでありんす。正午のお約束でありんすから。」

頬がこけてすっかり小さくなった緋桜が、こん…と乾いた咳をした。
傍に行くと、ひゅっと胸の雑音(ラッセル)が鳴る。青く血管の浮いた腕で、胸を押さえて小さくこん……と、咳をした。

「律儀な子だよ。まったく。証文なんざ、いくらでも書き換えてやろうってのに、とうとうこんなになるまで我慢して。」

「すみません……。でも、お金じゃない物をたくさんいただいて、お世話になった花菱楼に、少しでもお返ししたかったんでありんす。青海兄さんにも、東雲兄さんにも、浅木兄さんにも……口では言えぬほどたんとお世話になりんした……。緋桜は花菱楼の娼妓になって、当代一の青海花魁の禿に成れて、ほんに幸せ者でありんした。この通り、お礼申します。」

「……馬鹿だねぇ。夢を見させてもらったのは兄さんの方だよ。」

そこから先、緋桜は酷く咳き込んでしまって言葉にならず、今は柊三郎と呼ばれる美青年を哀しくさせた。

緋桜は、女衒が年端もいかない少年を連れて来るたび、廓勤めの覚悟を説いてあの日の青海花魁のように生きる術を教えた。
花菱楼では楼閣主が上客を選ぶが、言いかえれば春をひさぐのはどこの郭も変わらない。
だが、苦界に生きる覚悟が有れば、恥辱にまみれることはない。泥の中に咲く睡蓮のように毅然と気高く生きる華になれと、緋桜は微笑んで見せた。

滑るように襖が開いた。

「さあ、安曇。支度はできたかい?行こう。」

「あい、磯良さん。」

洋装の磯良が抱き上げると、緋桜花魁は最後に、二階の自室から懐かしむように階下を眺めた。
八重桜の花弁が一陣の風に舞った。

磯良は安曇を人力に乗せ、温かい毛織のひざ掛けを胸元まで引き上げて身体を包んでやった。
青海……今は本名の一柳柊三郎は、磯良に勧めて居をこちらに移させ、電信局の仕事も世話してやった。その方が病院の都合がいいからと告げたが、実際は安曇を傍に置いておきたいのが本心かもしれない。

「大丈夫か?安曇。苦しくはないか?このまま、まっすぐに芳賀先生の療養所へ行くからね。」

「あ……い。磯良さん……兄さん。」

「うん?」

「わっちは、つくづく果報者でありんした……。」

「もう、ありんす(廓詞)はやめよう、安曇。これからはわたしと二人、町で暮らすのだから。」

「あい。磯良さんと二人で。」

緋毛氈にくるまって、短く髪を切ったほっそりとした男姿の安曇は幸せそうだった。
晴れて自由になった安曇を連れて、磯良はまっすぐに療養所へ向かうように、車夫に告げた。

投薬次第で、直に元気になるだろうと、洋行帰りの医師が、国内ではまだ数少ない肺病の新薬を内密に譲ると約束してくれた。
青かびで作った新しい薬の投薬を受け、やがて安曇は周囲が驚くほど劇的に回復することになる。試薬が市井に出回る前の話だった。
どこからか花の香が風に乗った。

「磯良さん……。もう……緋寒桜が咲んした……ね。」

「安曇。お前に見せたいよ。治ったらいつか緋寒桜を見に行こう。」

「あい。磯良さん……。げんまん……。」

伸ばされた細い指に、磯良は指を絡めた。

故郷の緋寒桜は、花が咲ききらずうつむいて咲く。

健気な安曇のような紅色の花蕾だった。






安曇と磯良という名前は、もともと安曇磯良という海の神さまの名前です。色々名前を探していて見つけました。

安曇はこれから、芳賀清輝という独逸で細菌学を勉強した医師の診療所へ入院します。

芳賀清輝というのは、拙作「如月奏シリーズ」の中で、ともに官費留学生として留学した男性で、肺病の研究をしている設定です。実際、北里柴三郎の研究所では、効果のある薬をごく一部の人に研究目的で使用していたそうで、そこからお話が広がりました。

長らくお読みいただき、ありがとうございました。
たくさんの拍手をいただいて幸せでした。これからも頑張ります。    此花咲耶。
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1 Comments

此花咲耶  

拍手コメントさま

Hさま

お読みいただきありがとうございました。(〃ー〃)
携帯壊れてしまって大変だったのに、苦労して読んでくださったのですね。
きゅんきゅんです。(*/∇\*) キャ~。読みごたえあったなら、山ほど加筆した甲斐がありました。
油断すると、すぐに明治だの幕末だの、知っている背景に転んでしまいそうになります。
現代ものを書かなくては!(`・ω・´)←いつも、言ってます。これからも、頑張ります。
コメントありがとうございました。
内心、どきどき……許容範囲大丈夫かなぁ……って思ってました。
(*⌒▽⌒*)♪良かった~~。

2012/01/21 (Sat) 01:06 | REPLY |   

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