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淡雪となりて 2 

このまま是道が出征して詩音と二人戦死してしまえば、自分の犯した大久保家の秘密は永遠に守られ家は安泰に続くと義母は思って居た。
日露戦争が始まってすぐに、義母は大久保家の当主をたきつけた。
今こそが、「華族は皇室の藩塀」と示す最大のご奉公の時ではないのかと……。

「悠長に華桜陰高校などで学ばせていないで、呼び返して陸軍士官学校へでもやっておしまいになってはいかが?ご維新から勇名を馳せた大久保家の面子というものがおありでしょう?」

「ああ、そうだな。」

元々、華族階級のさまざまな特権は、皇室を守る為に与えられていた。
開戦が決まった時に、大久保是道はいつかこの日が来るだろうと、すぐに予感していた。元より自分もそうしたいと、心から願っていた。
男児が誕生した今、大久保家嫡男として戦地に赴き、見事名誉の死に花を咲かせることこそ、義母も望むことだろう。
難関と言われた私立華桜陰高校に入学を許されて、僅か一年、父から陸軍士官学校を受験するようにと手紙が来た。こちらもかなりの難関で、しかも一切の伝手(つて)など通用しない実力勝負だったから、どんな有名人の子弟でも試験の出来が悪ければ容赦なく不合格にされる。余談だが、陸軍大将まで上り詰めた乃木将軍の、嫡男さえ数度受験してやっと合格したのは有名な話だった。

*****

是道が話すものもいないまま一人、試験場でぼんやりしていると「若さま」と声がした。振り返ると、にこにこと花の笑顔が弾けた。

「え……?詩音……どうしたんだ、君。」

「わたくしも、若さまと共に陸士を受験するのです。」

「詩音が兵隊に……?」

「これでも、日本男児ですから。」

さすがに是道一人を軍隊にやるのは、気が咎めたのだろうか。殿さまに、受験のお許しをいただきましたと、軍隊に似つかわしくない麗々しい従者が傍に寄るのに思わず苦笑した。

「内緒にしていたな。」

「若さまを驚かせたかったのです。ずっとお傍にいると、佐藤さまにもお約束しました。」

内心、どこかで安堵した自分に気付いていた。一時期、あれほど憎んだ詩音がいつしか黙って傍にいるのが当たり前になっている。詩音だけが理解者なのは、昔も今も変わらない。

佐藤良太郎が、馬上から駆けより自分を懐深く抱いたのを是道は思い出していた。霧の晴れた思いで「天を見ろ」という言葉を聞いた。そして、詩音を信じろと友人は告げた。
一人ではなかった……と、胸の内で頷いた。

「そうだったね。詩音と一緒にいると知ったら、お節介な良太郎が安心するだろう。」

「今頃、佐藤さまは、49日の御法要もご無事に終わったころでしょうか。お手紙を頂いていたのに、お返事もせずに慌ただしく来てしまいました。」

「元々、住む世界が違うのだから、仕方がないよ。申し訳ないと散々に書き連ねていたからね。」

「はい。真っ直ぐなご気性の……お日さまのような方でしたね。詩音は、あの方がとても好きでした。」

「そうだな。ぼくと違って単純明快な男だった。きっとこちらの事は、市太郎が巧く伝えてくれるだろう。」

「はい。」

二人は時間に追われる多忙極まりない士官学校で、銃器の手入れをしながら時折懐かしい寮の話をした。工兵、砲兵は士官学校で長く学ぶことになっていたが、二人は短期で戦場に赴く騎兵を志願した。二人が従軍したのは、日露戦争もすでに終盤で、ぎりぎり間に合ったと言う按配だった。
学ぶべきことをつつがなく終了し、二人は揃って少尉候補として、戦地へ向かうことになる。

*****

露国と比べると、国力はたったの十分の一しかない無謀な戦いだった。
日露戦争の只中、日本軍は旅順侵攻に着手し、夥しい屍山を築いていた。戦死者の数を聞いたとき、指揮官は零が一つ多いのではないかと聞き返したほどだ。
満州に派兵された騎兵師団から、決死隊に志願した是道と詩音は、戦場となっている203高地の山肌を双眼鏡で眺め、想像以上の悲惨さに顔を見合わせた。そこに拡がる荒寥とした現実世界を見て大方の者が言葉を失った。
極寒の山肌には草木の類はない。旅順は何万樽ものべトン(コンクリート)を注いで、そびえたつ不落の要塞が山頂で日本軍を威嚇し進軍を阻止し、裏側にあるここ203高地は清国の作った要塞を残すばかりの高地だった。
この地で戦局を楽観視するものは、誰もいなかった。

「若さま。噂には聞いて居りましたが……地獄というのは存外、こういう光景なんでしょうね。これだけの人間がいながら、生きている者がいないのですから……。幾重にも壕に重なって見える木々のようなものは皆……むくろのようです。」

「本当だ。山を覆い尽くす屍骸の上に、屍骸が重なっている。鉄条網のぼろきれのようなものは砲撃を受けた同輩の手足が引っかかっているのだな。いずれはぼくも、ああなるのか……。」

詩音の持つ双眼鏡を取り上げて、高地を眺めた是道は、詩音に同道を許したことを悔いていた。

「ぼくはとうに覚悟はできているが、詩音の父上に申し訳ない。おまえを、ここまで連れて来るのではなかった。」

「何をおっしゃいます。わたくしには、弟もおりますから内藤の家には何の憂いもありません。詩音はどこまでも若さまのお供をすることだけが望みです。」

「詩音……口にしたことはなかったが、ぼくは国許へ生きて帰るつもりはないんだよ。ぼくは、ここで死のうと思っている。」

「ええ、若さまのお気持ちは存じております。国許の家族には若さまと撮ったふぉとがらと、遺髪を残してまいりました。悔いなく彼岸までご一緒致します。どうかお連れ下さい。」

何処かうっとりと、詩音は是道と共に行くのが望みだと告げた。




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あわただしい年末です。稼業も追い込みでまじめに働いています。
一週間寝込んでいたので、仕事がいっぱいです。
お風邪などひかないように、お気をつけください。 此花咲耶


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