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淡雪の如く 39 

それから、是道はどうしたのだと聞かずには居れなかった。
何の術も持たない小さな従者を頼みにして、たった一人、羅刹の家で生きてきた大久保是道。

失うばかりであった幼い是道が、そのまま両の足できちんと立っていられたのかどうか、良太郎は聞いた。
静かにその頬が濡れていた。
是道が……詩音が……、二人が哀れでならなかった。詩音の話によれば、その時の記憶は曖昧であまり残っていないらしかった。

「若さまは……とても、お優しい方ですから、きっと恐ろしい記憶を心の奥深くに封印してしまったのです。」

「若さまが気付かれたとき、奥様もお側にいらっしゃいました。余りにひどい状態でしたので、さすがに良心が痛んだのだと思います。頭の取れたぼろぼろのお人形をご自身で繕われてお持ちになりました。」

「若さまは、奥様のお顔を見ると、ふらふらと起き上がり蒼白の顔で『ごきげんよう、おかあさま……。ああ、嬉しい。綺麗に直して下さったのですね。』と笑顔でおっしゃって受け取ると……再び倒れておしまいになりました。」

「その後、お兄さまにごめんなさいと伝えて。大切なお着物を、知らずに拝借した是道が悪いのです。お兄さまは、無作法な是道をお叱りになったのですと、おっしゃいました。さすがに奥さまも老女もそれからは人が変わったように、若さまに優しくなったと思って居たのですが……。とうとう……こんなことになってしまいました。」

ふっと、我慢しきれず詩音はひきつった嗚咽を漏らし口を覆った。

「詩音……ぼくは、自分の脳天気さにいささか呆れている。華族なんぞは働きもせずに天子さまから高禄をいただいて豪奢な暮らしを享受するだけだと思って居た。ここにきても自尊心の高い鼻持ちならない輩とは付き合うまいとさえ思って居たよ。……大久保は、ずいぶん苦労したのだな。」

「はい。でも、佐藤さまがいらしたから、若さまはこれまで何とか頑張れたのです。……いつも、若さまを支えたのが、胸にある実母さまと幼い日の佐藤さまのお日さまの匂いだとおっしゃっていました。実は何とか逢わせて差し上げたいと思ったわたくしの父が、佐藤さまのご尊父さまに華桜陰を受験する話を聞いて参りました。」

「そうだったのか……。幼子のようにぼくに執着した理由はそこか。それなのに、その手を振り払い、何も知らずに絶交してしまったのだな。」

幼い子どもなら泣きすがることも出来ただろうが、高い自尊心が本心を告げることを許さなかったとやっと良太郎は思い当たった。

「大久保は、ずっと我慢してきたのだな。」

「はい。詩音もお話に聞いた佐藤さまにお会いしたい一心で、共に学業に励みました。それはもう、二人して夜星明け星、一生懸命でした。」

「そうか。多分ぎりぎりだったと思うが、何とか合格して良かったよ。それにしても、ぼくは大久保には、端(はな)からずいぶん冷たかったね。最初の印象が余りだったから仕方がないが、あれほど真っ直ぐに気持ちをぶつけられたのは初めてだった。正直に言うと、たぶん戸惑っただけだと思う。一途に好かれて悪い気はしないからな。」

「わたくしが姑息な手を使って、度々……わざと誤解させるような余計なことをしてしまったからいけなかったのです。申し訳ありませんでした。」

「もう、互いに謝るのは無しにしよう。済んだことだ。」

「はい……。佐藤さま。本当は若さまは、気性の真っ直ぐなお方です。照れ屋で中々素直にお気持ちを表現できないところもお有りですけど……どうぞわかってあげてください。」

「自尊心が高くて、気難しいところもある。中々に頑固で負けん気なのもわかっている。」

小さな灯りを頼りに、二人はしんとした桜並木を歩き語りながら寮へと向かった。行きはずいぶん気が重かったが、今は二人とも晴れ晴れと明るかった。

「それ以上若さまをひどくおっしゃると、詩音は叶わずとも佐藤さまにお手向かい致しますよ。」

「決闘するか?ぼくはこう見えても免許皆伝だが、詩音はどうだ?」

「腕には覚えが有りません。」

お耳をお貸しくださいと、健気な従者がささやいた。

「詩音は色仕掛けで籠絡するのです。寝首をかいて差し上げます。」

「なるほど!……あはは……たった今、落ちた所じゃないか。もう、勝負はついていたな。ぼくの負けだ。」

「……冗談ですのに……。」

詩音が明るく声を上げて笑ったのは久しぶりだった。実に綺麗な笑顔だと思った。
憂いの晴れた華奢な青年がゆっくりと足元を照らし先を行く。

……だが、距離が縮まったと思ったのも束の間、今日限りで良太郎は詩音と永遠の別れをすることになる。
従者の思いだけが、鮮烈に良太郎の胸に残った。





(´・ω・`) 「お別れです……」

お読みいただきありがとうございます。 此花咲耶



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