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淡雪の如く 28 

階下からだみ声の合唱が聞こえてきた。
当時の旧制高校で寮歌と共に広く歌われていたデカンショ節である。

『淡雪がちらちら武蔵の宿に アヨイヨイ
猪がとびこむ牡丹鍋 ヨーオイ ヨーオイ デッカンショ…』

『桜並木の華桜陰の塾で アヨイヨイ
文武鍛えし美少年 ヨーオイ ヨーオイ デッカンショ…』

……

「まずいな。来たか…?市太郎?」

「敵はおそらく数名。こちらの人数は割れているから気を付けろよ。詩音と大久保は奥の部屋に隠れていた方が良い。戸口で叩く」

「なんでしょう、若さま…。物々しい騒ぎです。」

「ストームだ。野蛮な行為だが、伝統だそうだから致し方ない。詩音は逃げた方が…。あっ。」

ばん!
いきなり扉が開けられ、たすき掛けの勇ましい恰好をしたものやら、賄いの夫人の割烹着を借りて変装したものやら妙な集団が雪崩れ込んできた。

「うわあっ!」

既に腕に覚えのある市太郎は、数名を押さえつけ軽くみぞおち辺りに手刀を決めた。

「あいつ等は手ごわいぞ!構うな、如菩薩か白鶴を狙え!美術部の戦利品にする。」

「よしっ!」

多勢に無勢、寮内の殆どが敵になり二人を襲った。、鍋や太鼓を打ち鳴らし、真夜中に始まったストームの洗礼を受けたのは初めてだった。
だが、皆の顔は大いに笑っている。華桜陰寮歌や流行のデカンショ節の替え歌などを蛮声で歌いながら、肩を組んで寮の廊下を踏み鳴らしていた。上級生たちは各部屋で寝ている者を叩き起して回り、起こされたものもすぐにストームに加わった。
学生たちは束の間の祭り騒ぎを楽しんでいた。布団でまかれ散々に叩かれた者あり、夜着を剥ぎ取られ下帯一枚で池に放り込まれた者もあった。以前に酒を飲まされた者が、構内を走り回ったうえ泡を吹いて倒れて以来、表向き飲酒は禁止という事になっているが、隠し持った酒を密かに飲んだものもいるようだ。

「くそっ!放せ!」

ついに良太郎と市太郎は人海戦術に敗れ、敵の手に落ちた。寝室の片隅に追い詰められた是道と詩音は両手を上げた。

「先輩方、降参します。」

どうぞ、お手柔らかに…と捕虜が微笑むと、どっと歓声が起きた。
最近の如菩薩と白鶴は組みやすいと、上級生にも知れているようだ。長い総髪を束ねた役者のような寮長が絵羽織の襟を引き上げた。

「見かけによらず、この主従、肝は座っていると見た。さあ、君らの姿を西洋絵画の素描とやらで描きたいと美術部が待っているがどうするね?場所はここでいいか?」

「若さま…?」

こくりと頷く是道は、ご自由にと一言告げたきり部屋を見渡し眉をひそめた。椅子は倒れ、かぶってきた手拭いやら雪駄やら敷布やらで違う部屋のようになっている。
羽根枕も騒ぎの中で破けて、鳥を締めたように羽毛が舞っていた。そこでやっと気が付いた侵入者たちは揃って気まずそうな顔をしてそそくさと辺りを片付けはじめた。

「先輩方。素描とやらはすぐに終わりますか?」

「勿論。貌だけ簡単に写させてもらえば、絵の具は臭うし後は部屋で仕上げる。」

「では、ここで脱ぎますか…?」

瞬時にその場にいた者の顔と視線が、ぎょっと詩音に向けられる。

「浮世絵などと違って西洋絵画は、筋肉や骨格を描くと聞いて居るのですが……違いました?」

「物知りだな、白鶴。だが、この場で君たち二人を脱がせるわけにもいかないだろう。見ろ、うっかり肌など見せたらあの飢えた獣たちに食われてしまう。あ、そうだ。以前に教授に見せていただいた素描集の中に「ぴえた」というのがあったんだ。有名な彫像なんだがその形をとってくれるかな?」

「どうすれば…?」

「まず、聖母の方だな。大久保、ここに来てくれ。」

上級生は喜々として、まず是道を長椅子に深く腰掛けさせ、テーブルの上掛けを手拭いのように頭にふわりと被せた。

「あっ。そのようなものを、若さまに被せてはいけません。」

「いいから。詩音、捕虜は敵方のいう事を聞くしかないんだ。」

…そう言われては返す言葉もない。

「黒田清輝という画家が仏蘭西留学から戻ってすぐ、東京美術学校に西洋画科ができたんだ。ぼくは嫡男で無ければ絵描きになりたかったのだが、そうもいかなくてね。父上との約束で絵は趣味ということになってる。そう、大久保君は両手を開いて、よいしょっと。」

軽々と詩音を抱え上げた上級生は、横抱きにした詩音を是道の上に下ろした。

「詩音。身体の力を抜いて、大久保君にもたれかかってくれ。そう……。君は今磔柱から下ろされたばかりのキリスト教の始祖だ。大久保君、詩音を見つめて……。そう、君は最愛の息子が死んでしまって悲しみにくれている聖母マリアの役どころだ。」

ほんの少し美術学校で油絵を学んだことのある先輩の手で、さらさらと悲しみの聖母と慈愛の眼差しを注がれるキリストの図が描かれていく。いつしか室内は黒山の人だかりでコンテの走る音だけが室内に響いていた。
詩音に向ける是道の眼差しは、例えようもなく優しい。

「マリアなぞと言われてもしっくりこないな。僕には大久保は普賢菩薩にしか見えないんだが……。」

市太郎をつついて良太郎がごちた。

「慈悲」の眼差しを従者に注ぎ、夏季休暇前の紀念祭は終わった。いつか、良太郎は画家になりたかった上級生の残した絵を感慨深く眺めることになる。短い自由を満喫した最後の夏に詩音は是道の腕の中にいた。

それは、幸せな思い出になった。





いつもお読みいただきありがとうございます。此花咲耶

学生生活ももうすぐ終わります。
彼らの身にいったい何が……(´・ω・`)


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