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Archive: 2017年10月  1/2

明けない夜の向こう側 第二章 7

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櫂は陸から手紙をもらった。部屋に戻る時間ももどかしく、中庭で手紙を広げた。「えっ」そこには郁人をかばって、二階から落ちた事が書かれてあった。驚いて読み進めてゆくと、生垣のおかげで、大した怪我もせずに済んだこと、父が驚くほど狼狽したこと。そして、鳴澤に向かって、初めて心からお父さんと呼べたことなどが書かれてあった。「……そうか。良かったなぁ、陸」「おや、鳴澤君。どうしたね、随分楽しそうじゃないか。大事...

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明けない夜の向こう側 第二章 8

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陸は、鳴澤の家に引き取られて以来、これまで自由だった。明るく快活に、使用人のいる生活にも少しずつ慣れながら、少年らしく日々を過ごしていた。引き取られた当初、郁人と同じように、家庭教師をつけて勉強させればいいと鳴澤は告げたが、一度に環境を変えるのは良くないだろうという、最上家令の意見を聞き入れて近くの中学に編入した。だが、郁人が貧血で倒れたあの日から、少しずつ周囲が変わり始めた。まず、足の傷が癒えて...

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明けない夜の向こう側 第二章 9

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笹崎は訴えた。「最上さん……あれでは、陸さまが余りに可哀想です。まるで陸さま個人には何の存在価値もないような物言いじゃありませんか。いくら、亡くなった奥様の弟だと言っても、人を人とも思わないようなあんな態度はない。何も知らない陸さまがお気の毒です」「陸さまに情が移るのも分かる。笹崎……あの子はとてもいい子だ。だが、今は望月先生の言う通りにすべきだとわたしは思う。由美子さまの哀れな最期を忘れたわけではな...

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明けない夜の向こう側 第二章 10

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思い余った陸はペンを握ったが、その内容は日常を切りとった取り止めのないものでしかなかった。櫂に心配を掛けたくない思いで、結局、陸は自分の置かれている状況を記せなかった。もしも、書いたとしても最上家令の指図で、手紙は櫂の手には渡ることのないよう回収されたに違いない。そういう意味では、屋敷の使用人全て、陸の敵だった。週に一度の尿検査は、郁人に一度蛋白尿が出てから三日に一度実施されることになり、郁人と陸...

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明けない夜の向こう側 第二章 11

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あれは、上野で暮らしていた頃だった。日々の生活と生きてゆく苦しさに負けて、櫂はたった一度、陸を捨てようとしたことがある。「にいちゃ、おれを捨てないで……」 そう言った陸の握りしめた拳は震えていた。口下手な陸の思いが何かわからないが、隠していることがあると、櫂は気づいた。「すみません。車を戻してください」「櫂さま。あいにく外泊届けは出されていません。寮の門限に間に合わなくなってしまいますよ」「忘れもの...

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明けない夜の向こう側 第二章 12

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櫂は、試験後、陸に伝えた通り鳴澤家には帰らなかった。以前から考えていたことを調べるために、誰にも言わず独り深川の地にいた。知り合った頃、母親は深川で芸者をしていると、陸が言っていた。物心もついていないような子供のいう事で、その頃には事実かどうか確かめる術もなかったが、今はもうおぼろげになってしまった記憶を手繰って、母親の事を確かめるしかないと、櫂は一つの決心を固めていた。空襲によって、深川の町は焼...

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明けない夜の向こう側 第二章 13

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おそらく芸者上がりなのだろう。30そこそこの、あか抜けた女だった。小股の切れ上がったと形容するべきだろうか。店と言っても、食べる物が不足している今、大したものは無い。馬や牛に食わせる飼料用のジャガイモを揚げて、商売をしていた。少し焦げた屑芋をいくつか小皿に取り分けて、五円だよと笑った。「男前の兄さん。辻光代はあたしのおっかさんだよ。出かけているから、帰るまで、ちょいと待っておいでな」「はい。待たせ...

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明けない夜の向こう側 第二章 14

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櫂の話を聞き、40半ばの女性はしばらくしてやっと口を開いた。時間があるなら、このまま店が終ってからゆっくり飲みながら話をしようと、誘ってくれた。勿論、櫂に異論はない。「あんたの弟の名前は、吉永陸……というんだね。そうだね。吉永という名の芸妓は、うちではないけど確かに深川の置屋にいたよ」「そうですか」思わず櫂は身を乗り出した。「吉永という苗字は、あたしの知る限り深川じゃ一人しかいなかったから、覚えていた...

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明けない夜の向こう側 第三章 1

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櫂は華桜陰大学を卒業後、町医者になる道を捨て、そのまま大学病院に籍を置いていた。高校の時から、何かと目をかけてくれた印南教授の研究室に入り、腎臓外科を目指すことになっていた。「鳴澤君。二病棟の渡部さんの浮腫の治療はどうなった?」カルテを片手に、専任教授の印南が、新人医師の櫂に問う。「絶対安静が必要なんですけど、家業があるのでなかなか難しいみたいです。むくみを取るために利尿剤の助けを借りることになり...

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明けない夜の向こう側 第三章 2

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久しぶりの休日。今は、ほとんど寝台にいるしかない郁人を見舞って、櫂は扉を叩いた。「どうぞ。ああ、櫂くん……帰っていたのか」郁人を診察する望月は、今や親しげな視線を向けるようになっていた。櫂は印南教授の意見や新しい技術、薬の名などを惜しみなく望月に伝えるようにしている。町医者レベルの望月には、櫂のもたらす新しい情報は、喉から手が出るほど必要な物ばかりだった。「望月先生。郁人の様子はどうですか?」「あま...

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