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Category: 波濤を越えて 第二章  1/1

波濤を越えて 第二章 2

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消化にいいものを食べるようにと、昔から主治医に言われている。内臓に負担をかけないよう、季節に関係なくなるべく体温に近い温度のものを食べるようにと言われた。あまり丈夫ではない正樹を心配する母は、毎日正樹のために忙しい中、手をかけた料理を作った。茶わん蒸しが食べたいと言えば、夜には優しい出汁のきいた物が食卓に並んだ。親元を離れて独りで暮らしていると、これまで当たり前にして貰っていたことが、実は大変な労...

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波濤を越えて 第二章 3

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やがて看護師が「相良さ~ん」とカルテを手に、待合室まで呼びに来た。「医師からの説明がありますから、第二診察室にどうぞ」「はい」正樹は振り向いて手を振ろうと子供を探したが、もうそこにその子はいなかった。看護師に「あの……さっきの子は?」と問うたが、気づいていなかったのか返事は帰ってこなかった。「失礼します」主治医の逢坂は、真剣な表情でじっとカルテとCT映像を見つめていた。「はい、どうぞ~。先月ぶりだね...

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波濤を越えて 第二章 4

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自分から話をしてくれと言ったのに、医師の説明を正樹はほとんど上の空で聞いていた。予期せぬ話の連続で、顔から血の気が引いてゆくのが自分でもわかった。「相良君。相良君……?大丈夫?」「あ……はい」「顔色が悪いよ。辛いのだったら、話はまた次にするかい?」「いえ。自分の事ですから教えてください」気丈に受け答えしたが、医師の心配そうな声も、看護師の声も、難解な医療用語も、耳には全く入ってこないで上滑りしてゆく。...

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波濤を越えて 第二章 5

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翌日は仕事が休みだったので、正樹はしばらく布団の中でまどろんでいた。考えることは山ほどあった。昨日、病院で医師に言われたのは、家族に病気の話を伝えること。そうしますと、即答できなかった。正直なところ、家を出てからは電話すらかけていない。一度、仕事先を覗きに来た母親が、もの言いたげな風でこちらを見ていたことがあるが、正樹は近寄るどころか、言葉もかけられなかった。視線をそらし、仕事をしているふりをした...

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波濤を越えて 第二章 6

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久しぶりに会った親子は、ぎこちなく言葉を交わし、互いの本心を探ろうとしていた。「とにかく中にお入りなさい」「……いいの?」「自分の家でしょう。何を言っているの」母は、怒ったように語気を強めた。思わず、父親に二度と敷居をまたぐなと言われているけど、上がってもいいのと皮肉を言おうとしてやめた。玄関には、正樹がいた時と変わらずに、季節の花が飾られている。自分がいなくても、何も変わらないと思いつつスリッパを...

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波濤を越えて 第二章 7

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母の淹れた緑茶は、優しく胃に染みてゆく。「僕のものなんて、何もかも捨てられてしまっていると思ってた……」「どうしてそう思うの?」「……期待を裏切ってしまったから。……ひどい言葉で傷つけてしまったし、許されないと思ってた……」「傷つけたのは、私たちも同じだわ」「……え?」「感情のまま、あなたを否定してしまったわ。驚いたから……っていうのもあるけれど、今日あなたが来てくれてよかった」「僕も……勇気がなくてごめんなさ...

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波濤を越えて 第二章 8

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どう返事をすればいいだろう。視線をさまよわせて、正樹は言葉を探した。今はドイツに居て、いつ帰ってくるかわからないフリッツの事を、母の言う「お付き合いしている人」と言えるかどうか。「ちゃんとお付き合いしているとは言い難いけど、好きな人はいるよ」「そう……男の人なの?」「……ごめん……」母は無理やり笑おうとして、顔をゆがめた。正樹は静かに靴を履いた。やはり、この家に足を向けたのは間違いだったのか……「またね、...

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波濤を越えて 第二章 9

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白いなまこ壁に囲まれた相良家本家では、最近表門を作り替えたらしい。依然訪れた時とは、違って白木の木肌が真新しくなっていた。来客を威圧するような大きな門は、最近出入りの宮大工が作り直したそうで、どこかの老舗旅館だと言っても通用しそうだ。正樹は、家政婦と二人がかりで庭石を洗っていた祖母に、声をかけた。「おばあちゃん。苔の掃除?」「おや、正樹。久しぶりだね。庭師も爺さんだから、あたしも少しは手伝ってやろ...

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波濤を越えて 第二章 10

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勝手口の外側で、従弟の直が膝を抱えて座り込み、丸くなっていた。もう泣き疲れてしまったのか、赤い目をしていたが涙は止まっていたようだ。「直、何しているの?」「……まあちゃん……」「そんなところに座っていたら、冷えておなかが痛くなるよ」優しい従兄の姿を見て、直の涙腺は再度緩んだ。「まあちゃん。ぼくね、クレープ作ったの……」「クレープ?直はそんなのが作れるのか。すごいな」「……お……父さん……作っちゃダメだって……お...

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波濤を越えて 第二章 11

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自分に絵があるように、直にも好きなものを大切にして欲しいと、正樹は思った。後悔をしない生き方は難しいけれど、それでも自分で選択した生き方をしていれば、立ちはだかった困難にも勇気をもって立ち向かえる。それは自身が経験済みだった。ちゃんと伝えても、直に理解できるかどうかわからないが、正樹は試みた。フリッツが自分にそうするように、懐の心もとない存在を、ぎゅっと抱きしめた。「直、あのね……」「うん……」「直は...

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波濤を越えて 第二章 12

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表門を出たところで、名前を呼ばれ振り返った。祖母が手招きしているのに気づき、足を止める。別れの挨拶をしていなかった。「直はもう泣いていないよ、おばあちゃん。心配しなくても、結構芯は強いみたいだ」「正樹と同じで、直も見た目があんな風だから弱々しく見えるけど、案外骨っぽいのかね。あたしが見る限り、あんたたちは、よく似ているよ」「そうだね……もう少し年が近かったら、直とはいい友達になれたと思うよ」「正樹。...

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波濤を越えて 第二章 13

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正樹はその足で終業時間間近の勤務先に向かい、同僚に入院する旨を告げた。「そうか。残念だな。もう少しで正規職員だったのに」「色々と目をかけていただいたのに、すみません。月が替わったら、しばらく入院することになりそうです」「まあ、君はまだ若い。体をしっかり治してもう一度頑張ることだよ。復帰を待っているから」「はい……ありがとうございます。色々とお世話になりました。とても有意義な毎日でした」休暇願いはひと...

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波濤を越えて 第二章 14

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月が変わって、正樹は白い病室の住人になった。入院生活は長引きそうだったが、両親の助けもあり、お金の心配だけはしなくてもよくなったので、正直心は軽かった。外出許可をもらって、田神の結婚式にも顔を出した。パネルに貼った二人の似顔絵を、結婚式場に預けてあった。検査のたびに体力は削られてゆき、ますます色は白くなってゆく。鏡を見るたびに、憂鬱になる。元々、頑健とは言い難かったが、ベッドに張り付けられているせ...

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波濤を越えて 第二章 15

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楽しい時間の後ほど、独りになると寂しさは募る。宴席から大部屋の入り口の自分のベッドに戻った正樹は、静かに病院の借り物のパジャマに着替えた。同室の患者たちは、すでに就寝しているようで、寝息だけが聞こえてくる。明日は手術だったが、誰にも告げていなかった。誰にも言わずに、明日を迎えると決めていた。「相良さん。体調はいかがですか?」朝方、覗いた担当看護師の問いかけに、変わりはないですと答えた。医師の説明も...

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波濤を越えて 第二章 16

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仕事帰りに、毎日友人の田神が顔を出してくれたが、新婚なんだから早く家に帰れと、正樹は背中を向けた。背後から田神が食い下がって声をかける。「正樹……。ちゃんと飯は食っているのか?」「食べてるよ。心配性だなぁ」「……なら、いいけど」こみ上げる吐き気で、食事はなかなか喉を通ってくれなかった。「そうだ。田神。聞きたいことがあるんだけど……」思いついたように、正樹が体の向きを変えた。「何?」「田神の学校の美術室に...

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波濤を越えて 第二章 17

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もしも自分が正樹の立場だったら、足元の地面が崩れ落ちてゆくような恐怖に耐えられるだろうか。削り取られるように、一つずつ大切なものがどこかに失われてゆく。「昔から、僕は田神に助けてもらってばかりだった。田神がいなかったら、きっとずいぶん前に僕はこの世からいなくなっていたと思う。僕は強くないから……僕が……両親を裏切ってしまった負い目を抱えながらも、何とか生きてこれたのは、田神のおかげだよ。いつだって、田...

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波濤を越えて 第二章 18

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もう何年も会っていなかった父は、白髪が増えずいぶん年を取ったように見えた。「院長に、転院させるよう話をして来た」「え……っ?」「大学病院に専門医がいるそうだ。義兄さんが便宜を図ってくれたから、明日にでも移れるように支度をしておきなさい。朝のうちに、迎えを寄越すから」有無を言わさない強い口調に、思わず口ごもる。「あの……まだ住んでいたアパートも片付いていないんだ。それに、いずれ転院は必要だけど、病院は主...

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波濤を越えて 第二章 19

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正樹は小さくため息をつき、田神に困ったような顔を向けた。「ごめんね、田神。父が失礼なことを言って……何年たっても、あの人は相変わらずだ」「気にしてないよ。正樹が謝ることなんてない。多少ずれているところはあるけど、親父さんなりに心配しているのは、俺にだってわかる」「そうだね。父の横暴さには辟易してきたけど、離れてみるとそうやって頑なに生きるしかなかったのかなって思うよ。会社人間だから、常識の枠を外れる...

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波濤を越えて 第二章 20

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日曜日。田神は正樹の部屋を片付けて、自分の勤務先へマルスの胸像を運ぶ手はずを整えた。本当のところ、小学校の美術室にはデッサン用の胸像は必要なかったが、処分しかねている話をすると二つ返事で引き受けてくれた。正樹は名残惜しそうに、最後にマルスを抱きしめた。「ずっと最後まで一緒に居たかったんだけど、お別れだね……さよなら。これまでありがとう……」小さくつぶやいた言葉は田神の耳には届かなかったが、マルスには届...

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波濤を越えて 第二章 21

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逢いたくて、逢いたくて、たまらなかった。……だけど、負担をかけてしまうとわかり切っているから、もう二度と逢わないと決めた最愛の人。「……どう……して?」やっと紡いだ言葉は、それ以上零れ落ちることはなかった。毎日、夢にまで見た恋人が、変わらぬ笑顔を湛えてそこにいた。厚い胸に抱きしめられて、呆然とした正樹は現実を受け止められないでいた。ただ、温かい涙だけは静かに青ざめた頬を転がってゆく。「正樹……可愛い正樹。...

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波濤を越えて 第二章 22

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コンビニで買って来た飲み物を並べて車座になり、これまでのことを三人で話をした。フリッツが、ギリシャの不良債権を殆どうまく回収できたと聞いて、正樹は自分の事のように喜んだ。「すぐに手を打ったのが良かったんだね、きっと。本当に良かった。叔父さんの会社は大丈夫だったんだね?」「大丈夫。それに、日本でも取り扱いをしてくれる店が、何軒か増えました。だから、これからもっと沢山の作品を作るつもりです」「そう……フ...

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波濤を越えて 第二章 23

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正樹は意を決して、打ち明けた。それは田神の予想通り、独りよがりな悲しい想いだった。「……ドイツには僕の知らないフリッツの暮らしがあるから……きっと、離れている間に、フリッツには新しい恋人ができるだろうと思ったんだ。周囲に祝福される健康な恋人が出来たら、遠くにいる僕はもういらないかなって……」「正樹をいらない……?わたしが、そう言うと思っていたの?……信じられない……」フリッツはショックを隠さなかった、大いに落...

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波濤を越えて 第二章 24

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「嬉しい……」正樹の頬を、ぽろぽろと透明な雫が転がってゆく。溢れた涙が、心に刺さった氷の棘を溶かし、今の正樹の心はとても安らかだった。抱きしめた正樹の顔を覗き込んで、フリッツが笑いかけた。「一緒に生きる決心はつきましたか?」「うん……フリッツがいないと、僕は誰と一緒に居ても一人だから……」「さあ。そろそろ行きましょうか」「え?……どこかへ行くの?」「二人で、正樹の生まれた家に行きます」「何をしに?」「挨拶...

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波濤を越えて 第二章 25

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たち上がるとフリッツはゆうに190センチはあるので、どうしても見下ろす形になる。正樹の父親は、きつい視線で睨みつけたままだ。「お聞きしてもいいでしょうか。大学病院での治療は、正樹の為になると思いますか?」「当然だ。正樹は分家とはいえ、この家の跡取りだ。死んでもらっては困る」「あなた……正樹の前で、そういう言い方は……」「最新の治療を受けさせると、決めたんだ。誰が何と言おうと、譲らん」厳しい口調も、結局は...

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波濤を越えて 第二章 26

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上気した頬で恥ずかしげに言い切った正樹を、フリッツは抱きしめた。「正樹……ありがとう。わたしも正樹と共に生きたいです」父親は苛々と吐き捨てた。「まるで、幼稚園児のままごとだ。愛だ、恋だと言う前に、これからどうやって食っていくかビジョンはあるのか。理想は語れても、現実はそれほど甘くはないぞ。見知らぬ国で病人を抱えて、暮らしていく方法はあるのか。親にたかるつもりなら、話は別だがな」正樹が反論しようとする...

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波濤を越えて 第二章 27

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フェリーの舳先に立って、フリッツと正樹は目指す瀬戸内の島を見つめていた。頬を撫でる潮風の中に、爽やかな柑橘の香りが混じる。「どの辺り?船から見える?」「可愛い正樹。身を乗り出すと海に落ちますよ。ほら、島の中腹に赤い煉瓦の登り窯が立っているのが見えますか」「あ……見えた!見えたよ。ずいぶん立派だね」フェリーから降りた正樹は、フリッツの先を跳ねるように小走りに行く。数日前に話を聞き、早く仕事場を見たくて...

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波濤を越えて 第二章 28 【最終話】

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フリッツが心配するほど、島での正樹は精力的に働いた。好きなことが仕事になる楽しさに、夢中だった。「正樹。荷造りは終わりましたか?」「うん。お母さんが、湯飲みの新しいのができたら送って欲しいって言ってたから、これも一緒に送ってくれる?」「勿論。明日のフェリーで送ってもらいます」「何か、荷物の量が増えてゆくね」二人で作った日曜雑器は、ドイツや雑貨屋に送るだけではなく、両親の知り合いからも頼まれて、少し...

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今後と、感謝と

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長らくお読みいただき、ありがとうございました。ストックがなくなり、最後は自転車操業のようになってしまいましたけど、何とか着地だけはできました。半年も文章を書かないで過ごしたのは初めてで、復帰後の弊害は自分でもどうしようもないほど大きかったです。恐らくお読みになった方も、変化に気づいたのではないかと思います。自身、反応の薄さも、そこが原因の一つだと思っています。此花には、この連載は正直泥沼でした。何...

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実るほど、愛の花咲く稲穂かな 1

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遠距離恋愛なんて、絶対上手くゆくはずが無い。きっと、これでお終いになってしまう。おまえは俺のことなんか忘れて、田舎のどこかですぐに可愛い相手を見つける。そう言って春、遠く九州の大学に行くという穂(みのる)に、散々泣き言を言った。「絶対、大丈夫。だってそんなゆるい絆じゃないでしょ。俺ら」それは、そうなんだけどさ。そう思いたいけどさ。だったら、この電話は何?「うっ……うっ……望(のぞむ)っ。純子が、もうだ...

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